霊界の実体と地上生活

【地上生活の目的と霊界生活】

多くの人が、「生きる目的」とは何かを探しているが、見つけることができず、死んでもなお、見つけることができず、苦しみ続けている。多くの人達が、悩み、苦しみながら、生きているが、死への恐怖を取り除けた人は、殆どいない。

それは、生きている目的は何なのか、死んだらどうなるのか、死後の世界は実在するのかについて、答えが出ていないからである。死後の世界がどうなっているのか、死んだらどうなるのか、分かっていない。生きている目的は何なのかを探求する為に、人類歴史は、宗教を作り、死と向き合って来た。しかし、宗教を信じる人たちの中で、死の恐怖から解放された人は多くはない。

どうしたら、死の恐怖から人類は解放されるのであろうか、それは、生きる目的、死とは何なのか、死後の世界とは、いったいどんな世界なのかを知る必要がある。それにより、死と向き合い、死を受け入れることにより、死を乗り越えることができる。

死と言う概念は、二つある。一つは、肉体の死を意味する。もう一つは、神様との関係性が切れていることにより、神様の目から見たら、認識され難い存在になってしまった霊的な死である。神様の目から見たら、人間は、認識することが難しく、殆ど、死にかけているのである。

神様から見れば、人間は、サタンとの偽りの愛により、堕落し、創造目的から外れてしまった。創造目的通りに生きることが、生きていると言うのであれば、死んでいると言っても、過言ではない。しかし、神様の愛で創造されたので、創造目的から外れた死にかけた存在で合っても、諦めることができない。親不孝な子供であって、親は、いつかは、親の心情を理解し、親の元に戻ってくることを願うように神様も同じである。自ら、神様との関係性を切って、死を選んだ人間が、死を克服し、創造目的通りに生きて、神様の前に戻ってくることを願っているのである。

ここでは、神様の創造目的から離れ、神様の元に帰れなくなったことを霊的な死と説明する。また、肉体が死ぬことを肉的な死と説明する。本来、創造目的通りに生きる事ができていない人間は、肉的にも死んでいると表現する。霊的な死を克服し、肉的な死の意味を理解することにより、神の創造目的通りに霊肉共に生きることができる。霊肉共に死の恐怖から解放されることにより、生きる目的が分かる様になり、死後に訪れる世界である霊界について、理解し、準備することができる。

また、霊界と言う世界が、死後に訪れる世界ではなく、地上と表裏一体の世界であり、無形だが実在する世界の無形実体世界である。地上人達が霊界を認識できなくなったのは、霊的な死により、神様との関係性が切れてしまい、霊的な感覚が育っていない為、認識できないのである。霊界は、神様の真の愛の世界であり、地上で、神様の真の愛の実体になることにより、いつでも、霊界を感じることができ、霊界が死後の世界ではなく、常に、実在する世界であることを認識することができるようになる。

このように、肉体の死の恐怖を超え、霊的な成長を促し、霊界について、常に感じ取ることができるようになるように願う限りである。そうすれば、神様の願う創造本然の地上生活が可能であり、創造目的を果たした人間が霊界により、神様の愛の中で、永遠な幸せを感じることができる。

【目的】

神様の真の愛を中心として、霊人体の死と、肉体の死の恐怖を克服する。神様の真の愛を実践することにより、常に霊界を実感できるようになる。霊界を実感し、霊界での生活である霊生を基準にした地上生活を実現する。神様の創造本然の生活をすることで神様の個人的な創造目的を実体化する人格者となる。

【目標】

死の恐怖や霊的な無知をもたらしたサタンと堕落性を戦い、克服する。肉体の死の恐怖を克服する。霊界を実感する。霊的に神様と出会う。神様が願われる地上・霊界生活を実現する。個人的な創造目的を実体化する人格者となり神様を喜ばせる。

【戦略】

人間は、死の恐怖から解放されていない。それは、死後に肉体を脱いで生活する霊界に対し、無知であるので、霊的な無知による恐怖がある。また、サタンと主従関係にある人間は、神様との関係性が切れており、神様との関係性が切れているので、霊的な命が乏しい状態である。簡単に説明すると霊的には、ゾンビや良くて、幼児である。このような状態では、例え、地上で神様の為に生きたと考える人でも、良くて幼児であり、神様を認識することは難しい。もし、地上で神様との因縁を持てなければ、ゾンビのような生活を霊界ですることになる。

肉体の死の恐怖を克服する為には、サタンとの関係を切り、神様との関係性を構築することが必要である。神様と真の愛の関係性を構築し、神様の愛の世界である霊界に対し理解できるようになる。地上で真の愛の実体である真の人格者になれば、霊界の実体をリアルタイムで実感することができるようになる。

【戦術】

霊界を感じることができるようになる為には、先ずは、神様との真の愛を結ぶ必要がある。真の愛を結ぶのは、血統的な因縁を意味する。つまり、自分の血統の中に入り込んでいるサタンとの血統的な因縁と戦い、克服する必要がある。

例えば、過去に殺しあったり、奪い合った先祖達がいたのであれば、それを解く為に努力しなければなりません。例えば、戦争を起こした国の人が仲良く過ごすのは難しいのは、本人達の努力よりも、先祖の因縁が解放されていないので、仲良くすることが難しい。常に、神様や霊界を感じ、神様を愛する生活ができていないのであれば、先祖や本人の功績が足らず、争いの歴史を精算できていないからである。

自分自身の心と体の矛盾性は勿論、先祖達の争いの歴史を精算する為に貢献するのであれば、神様が愛したいと思える人格者になれる。

【現状】

霊界は、神様の真の愛の世界である。しかし、霊界で神様の真の愛が常に届くのは、天国ぐらいであり、それ以外は、神様の真の愛とは、程遠い世界である。何故かと言えば、過去に起こった人類の争いの歴史により、サタンを中心とした偽りの愛で生きた人は、神様の前に出るのが恥ずかしく、自ら神様と距離を置き、暗く、厳しい環境を選ぶのである。

また、地上において、霊界に対しての無知や死の恐怖から解放されないのは、地上において、神様の真の愛を実践していないので、霊的な感性が成長しておらず、霊界を感じることができず、無知による恐怖から解放されないからである。例え、霊界を知ったからとしても、先祖達の罪が精算されていないのであれば、死後に行く世界が悲惨なものであるので、同じく、死を恐れ、宗教等を通し、先祖の罪を償う為に努力するのである。

【課題】

神様が愛せる人類がいない理由は、人類は、神様の主管下におらず、サタンの主管下で生活しているからである。何故かと言えば、人類歴史は、常に、サタンの主管され、罪を犯して来た歴史なので、血統に残された罪の歴史を精算する為に努力しない限り、神様が愛したいと思える人は存在しない。もし、神様が愛そうとされたとしても、自分の血統的な罪の大きさを知ったら、恥ずかしく、神様の前に出ることはできない。

人類がサタンの主管下で、偽りの愛を中心に生きている限り、神様の真の愛の世界である霊界に対し、知る術は持っていない。もし、知ろうと努力したとしても、サタンが血統的な罪を条件に邪魔してくる。先ずは、自分の中の血統的な罪を精算し、サタンの偽りの愛の主管下から抜け出さない限り、霊界を知ることも、霊界を実感することもできず、神様の真の愛には触れることもできない。結果的に霊的な生を実感できないので、肉的な死の恐怖から解放されない。

【改善】

どうすれば、死の恐怖から解放され、霊界の実体を実感することができるのでしょうか?それは、サタンの偽りの愛の主管下から、神様の真の愛の主管下になる必要があります。それは、サタンとの血統的な因縁を絶ち、神様を中心とした血統的な因縁を持つしかありません。

サタンとの血統的な因縁とは、なんでしょうか?それは、自分自身の中にある自己中心的な偽りな愛を中心として構築された価値観や習慣性を意味します。また、サタンの偽りな愛の主管下にいたので、歴史的に構築された文化、風習を意味します。

先ずは、神様の愛を中心にした価値観や習慣性を構築します。それは、自分を中心としたものではなく、神様を中心として生きることを意味します。

具体的には、常に、神様のことを愛する生活しているのかと言う意味です。神様は、今現在も、地上において、争いにより奪われている命を悲しまれていらっしゃいます。悲しみの神様を慰労し、どのようにしたら人類を神様の前に導くのか、神様と一緒に悩んでみてください。神様は共に悩み、苦しみ、悲しんでくれる人を求めています。自分が幸せになりたいから神様を探すのではありません。神様を幸せにすることが、自分が生きる目的であり、生きる価値であり、生きる意義である。神様の幸せを常に感じることができれば、その人は、それ以降は、死の恐怖も悲しみもなくなるはずです。

【効果】

神様の真の愛の実体になることができれば、地上生活の中で、霊界を感じとることができ、霊界で生活する体である霊人体を実感できます。そのような感覚を持った人は、地上生活は、霊界での生活である霊生を準備するための期間であり、神様の真の愛の世界である霊界において、神様からのより近い場所で生きる為に努力するようになります。神様からより近い場所で住む為には、地上において、神様を悲しませている地上地獄をなくすためにどれだけ貢献したのかが評価される。

【結果】

地上において、神様の真の愛を実体化させ、神様の真の愛の人格者となれば、神様の代わりに代わりに神様の愛を地上に伝える中心人物となる。

また、神様の真の愛の実体になることにより、霊界と意思疎通することができるようになり、霊界の実体を地上に伝えることができ、地上と霊界を繋げる架け橋となることができる。

地上生活は、霊界での霊生のための準備期間であると認識するようになれば、物欲を満たす為に全てだと考える価値観の人たちを本来の生の目的に導くことができます。それにより、サタンの主管下で、争いを繰り返す地上地獄を解放し、神様を喜ばせることができる。

【結論】

人間が死の恐怖から解放されないのは、神様との関係性が切れてしまい、死後に迎える神様の愛の世界である霊界に対し、感覚を育てることができず、無知による恐怖から来るのである。

地上で霊界を感じる為には、神様の真の愛を地上で実体化することにより、霊界を感じることができるようになる。地上生活は霊界での生活である霊生を意識し、生活できるようになる。地上生活で、神様の真の愛をどれだけ実現したのかにより、霊界での生活する場所と水準が決まる。

地上は、サタンの主管下で、争いに明け暮れた歴史を繰り返して来た。地上には、サタンが蔓延っており、神様が安息されることができない。また、歴史上も争いを繰り返し、怨讐を増やして来た。このような、血統的に受け継いで来たサタンとの因縁を絶ち、神様との因縁を結ぶ為には、地上において、神様の真の愛を実践し、実体化するしかない。

地上において、神様の真の愛の実体になる為には、地上にあるサタンの主管下にある地上地獄を無くす為に貢献する必要がある。例えば、過去の争いにより、怨讐関係になってしまった、個人や家庭や国を真の愛により、解放して行くのである。具体的には、韓国と日本は、戦争により怨讐関係になったが、お互いが力を合わせ、世界平和の為に貢献するのであれば、怨讐ではなく、神様を中心とした兄弟姉妹の心情を構築することができる。

地上生活が、霊生のための準備期間であることを知れば、物欲を満たす為に争うことはなくなり、地上地獄を解放し、地上天国を実現する為に努力するようになる。このように地上天国を実現する為に貢献した人が行く世界が天上天国であり、神様の真の愛の中で、永遠な幸せを感じながら生活することができる。

神様が悲しまれる地上地獄をなくし、神様が喜ばれる地上天国を実現する為に貢献することにより、神様の代わりに神様の愛を実現する人格者となり、神様の喜びの対象となる。

神様の真の愛の中で生活する人は、霊的な死を克服し、肉的な死の恐怖から解放される。また、地上において、霊生を意識しながら、生活することで、地上・天上地獄を地上・天上天国に変える為に貢献するようになり、神様を喜ばせることができる人格者になることができるように願う限りである。

コンテンツを理解したからと言って、霊界の実体と地上生活できる訳ではありません。「霊界と地上界」と言う問いに対し、答えるを見つける為のアクションステップを下記を参考に考えてみてください。

霊界の実体と地上生活の為のアクションステップ

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