【疑問提起】
サタンが何であり、如何にして、サタンが人間を主管し、操って来たのか、サタンがどのような存在なのか分からない限り、対策を取ることはできない。サタンとは、蛇に比喩された天使長である。何故、善なる存在として創造された天使が、神様に反逆する存在になってしまったのか、それは、自己中心的な偽りの愛により、アダムとエバを騙し、アダムとエバが神様の子の立場から落とす為である。それは、天使長は、神様の僕であり、子であるアダムとエバを支援する立場であったのにも関わらず、自己の創造目的を離れ、神様の子の立場を奪おうとした過分なる欲望によってである。
アダムとエバの堕落により、人類は、神様の子としての立場を失ってしまい、偽りの主人であるサタンの僕の立場に陥ってしまった。人類は、神様の元に帰ろうとしても、人類の努力だけでは、神様の元には帰ることはできない。神様の元に帰る為には、失われた神様の息子である資格を持った人が来られ、その方の元で、サタンとの因縁を断ち切り、神様の息子としての資格を得るしかないのである。
神様の息子が誰であるのかについては、この場では、話すことは控えるとして、神様の息子の元で、堕落した子孫として生まれてきた人間は、どのようにして、サタンとの因縁を克服することができるのであろうか。
また、サタンとの因縁により発生した偽りの愛の習慣性を堕落性と称する。人間は、堕落性により、サタンの主管下から抜け出せずにいる。サタンとの因縁を克服することと同じように、堕落性を克服しない限り、人間は、神様の所有物ではなく、サタンの所有物として生きて行くしかないのである。
サタンが何であり、どのようにしてサタンと戦い、克服することができるのか、また、サタンが人間を主管する偽りの愛の習慣性である堕落性と戦い、克服することができるのかを調べてみることにする。
人間がいくら、神様の元に帰ろうと努力したとしても、サタンと堕落性が許しはしない。サタンは、自分の所有物であることを主張するだろうし、堕落性は、自己中心的な偽りの愛を捨てることを拒むだろう。何故、人類は、サタンと堕落性との戦いに勝利できないのだろうか、それは、サタンと同じ偽りの愛を中心に生きる限り、神様が干渉したいと思える対象にはならないからである。
先ずは、神様の愛の対象となる為には、サタンと戦い、克服することにより、サタンが神様から奪った所有権を取り戻す必要がある。
【目的】
神様の真の愛を中心として、創造本然の生活することにより、サタンが干渉できない人格者となる。
【目標】
サタンとの因縁と堕落性と戦い、克服することにより、堕落によりサタンが神様から奪った人間の所有権を取り返す。
【戦略】
サタンとの因縁は、自己中心的な偽りの愛により、血統的に結ばれた。なので、サタンとの偽りの愛の血統を克服する為には、神様を中心とした真の愛で、血統的に怨讐関係だった人を愛することにより、愛で怨讐を克服するしかない。
また、堕落性は、サタンが自己中心的な偽りの愛により、人類歴史の罪と習慣性を意味する。罪を償い、習慣性と戦い、克服しない限り、サタンは、堕落性を理由に人間を所有しようとする。堕落性を克服する為には、神様を中心とした真の愛の実体になることにより、サタンが干渉しないように生活するしかない。
【戦術】
サタンと堕落性と戦う方法は、サタンと堕落性をよく知ることが重要です。何故かと言えば、サタンも堕落性も見えない霊的な存在であるので、目に見えない霊的な存在を認識できる霊的な感性を育てる必要があります。
サタンは、偽りの愛を中心とした自己中心的な愛により、人類と血統的な因縁を結び、人類を所有してきました。人類は、堕落人間となり、サタンから堕落性を受け継ぎ、サタンを主人とした歴史を築いて来ました。
先ずは、サタンと堕落性と戦う為には、自分の中にあるサタン的な要素と堕落性を見極めることが重要です。サタン的な要素の代表的なのが、霊的な無知に陥っていることです。つまり、神様の創造物である人間が、神様が何故、人間を創造されたのか、創造目的が分かっていないことを意味します。この無知を克服する方法は、創造目的の通りに生きた創造本然の生活をすることで、サタンの主管下から神様の主管下に戻ることができます。堕落性の代表的なのが、サタンの偽りの愛により発生した自体自覚を意味します。自我は、自分を中心として、他人を認識します。この自我を克服する方法は、神様を中心とした創造目的を中心とした他体から自覚することにより、自分の中にある神様の愛や希望である創造目的を感じることにより、創造本然の生活することで、サタンから讒訴されなくなります。
【現状】
地上の本来の主人は、神様である。しかし、人間が堕落することにより、人間は、神様の子女の立場からサタンの僕の立ち場に落ちてしまった。地上において、サタンとの因縁を断ち切り、神様と直接、意思疎通できる人は、殆どいない。
何故かと言えば、人類は、サタンに主管されており、サタンを主人として生活している。また、サタンとは、何であるのかを理解していないので、サタンと向き合えないし、どのようにしたら、サタンの主管下から抜け出せるのか知らない。
サタンの主管から、神様の主管に移る為には、人間がサタンとの因縁を切り、神様の主管下に戻って行く必要がある。人類歴史は、サタンの主観から神様の主管へ戻る為の復帰歴史であり、神様は、より善の側が勝つように導いて来られた。今でも、サタンと神様の戦いは、継続されており、神様の願いがわからない限り、神様の側には、立つことができない。
【課題】
それでは、サタンと戦い、克服する為には、どのようにしたら良いのであろうか、それは、神様とサタンがどのような戦いを行ってきたのかを知る必要がある。サタンと神様との戦いは、実体世界の戦いを進める前に、中心人物を立てて、進められる。その中心人物は、どのように選ばれるのかと言えば、中心人物が持っている愛の程度によって、神様側に着くのか、サタン側に着くのかが決まってくる。神様側に着く人は、神様の真の愛を実践し、実体化している人であるのは、勿論、神様の願いを理解しており、また、神様と意思疎通が可能であり、神様の願いを実現する為に努力する人である。
また、サタン側の中心人物とは、サタンの偽りの愛を中心とした自己中心的な愛を持った人である。神様側の人は、このサタン側の人を神様を中心とした真の愛で愛し、サタン側の人が、神様の真の愛を実践できるように導く使命がある。サタン側の人が、神様の愛に触れることにより、自然屈服するこにより、神様の願いが実現されるのである。つまり、サタンを克服されることができるのは、真の愛を実践し、これ以上、サタンが干渉することができないようになる必要がある。多くのサタンを克服させることで、神様の中心人物となり、神様が信頼し、愛してくださる人物になれるであろう。
【改善】
サタンを克服させる為には、真の愛を実践すれば良いと言うことは分かった。しかし、サタンは、簡単には、人間の主管を放棄しない。つまり、サタンを克服させる方法は、よりサタンが嫌がる生き方をすれば良い。
サタンが嫌がる生き方とは、自らを犠牲にし、真の愛を実践する人である。例を挙げれば、母親が子供の為に、自らを犠牲にし、乳をあげるのと同じである。また、愛を受けた相手が、受けた愛を通し、神様を感じることができるような愛を意味します。愛しても、忘れ、また、愛することができ、見返りを求めない愛です。そのような愛の実体になることにより、サンタが嫌がり、干渉してこなくなります。
また、サタンの偽りの愛を中心に作られた罪の歴史を精算する為に貢献するのであれば、サタンがとても嫌がります。例えば、韓国と日本が戦争した歴史があります。普通の人であれば、恨みを持っているかと思いますが、神様の愛から見れば、愛しうべき存在であり、共に、過去を精算し、未来には、恨みのない世界を作る為に貢献するのであれば、サタンが干渉してこなくなります。
【効果】
サタンからの主管下から、神様の主管下に移る為には、サタンから神様の主管である称号を受ける必要があります。それは、怨讐を愛し、克服することができたのかどうかにあります。怨讐とは、自分を攻撃してきたり、自分を恨む存在を意味します。怨讐に対し、憎しみで、相対するのではなく、神様を中心とした真の愛で、怨讐が真の愛により満たされ、怨讐関係を克服することにより、解消されます。
怨讐を真の愛で、克服すれば、サタンは、それ以上、追求することができず、主管権を放棄します。怨讐関係の1番最初は、心と体の関係であり、心は、体の為に、体は、心のためにいきることにより解決します。いつも、心が不安であったり、体が不安であるのであれば、それは、心と体が、神様の真の愛で、一つになっていないのであり、神様の真の愛が満たされているのであれば、心と体は、希望に溢れ、幸せを感じることができます。
【結果】
地上において、サタンが干渉したがらない。真の愛の人格者になれば、神様の代わりにサタンと戦う、中心人物となります。勿論、サタンとの戦いは、地上のみではなく、霊界でも、戦いが続くので、霊界での戦いは、天上地獄が解放されるまで、サタンとの戦いは継続されます。天上には、地上で、多くの罪を犯した先祖達がおり、先祖達の罪により、地上にいる後孫達も地上地獄の中で生活しています。
地上にいる後孫達が、先祖達の罪を悔い改め、罪により発生した恨みの連鎖を断ち切るために貢献してこそ、地上がサタンの主管下から、神様が干渉したいと思える世界へと変わっていくことができます。
【結論】
地上が、神様が望んだ世界でなく、サタンが願う世界になってしまったのは、人間始祖が、神様の真の愛ではなく、サタンの偽りの愛をを選び、神様の子女の立場から堕落し、サタンの僕の立ち場に落ちてしまったからである。その為、サタンの主管下に置かれた人類は、罪を繰り返し、怨讐関係を構築した歴史を作ってきた。
また、サタンの実体に対しても無知であり、サタンが人間を主管する上で、サタンの属性を引き継いだ習慣性である堕落性についても理解していない。例え、人類が、神様の元に帰ろうとしても、サタンが主管権を主張し、また、人類もサタンの堕落性を克服していないので、神様が主管したいと思える存在にはなっていない。
サタンと戦うためには、霊的な存在であるサタンを理解し、同じく、霊的な力である愛の力でしか、立ち向かうことはできない。サタンは、自己中心的な偽りの愛により、相手よりも、自分に利益になるように願う。なので、サタンを戦う為には、神様を中心とした真の愛で、自らが犠牲になったとしても、相手のために生きる愛を実践するしかない。真の愛を実践することで、サンタが干渉したいとは思えず、サタンに神様の主管であると言う事を認めさせることができる。
サタンから神様の主管であると認めさせることができれば、神様の代わりにサタンが主管してきた罪と恨みの歴史を精算するために貢献する必要がある。サタンが人間を主管する際には、堕落により発生したサンタの属性を習慣的に受け継いだ堕落性で主管する。堕落性を脱ぐためには、神様を中心とした真の愛の実体となり、過去の恨みを愛で克服し、怨讐関係から家族のような関係になることである。そうなれば、これ以上、恨みの歴史ではなく、人類一家族になるために共に力を合わせる強力関係になることができる。
地上からサタンの主管権と、サタンの属性である堕落性を克服することができるようになれば、神様が主管したいと思える世界になることができる。神様の真の愛を実体化した人格者となれば、神様が主管したいと思える世界を実現するために努力し、地上だけでなく、天上のサタンの主管権までも、地上で解放することにより、天上でもサタンとの戦いに勝利することができる。
サタンとの戦いは、人生の目的でもあり、勝利することが、人生の目標でもあります。また、霊界に行っても、サタンとの戦いは、継続しており、霊界のサタンは、地上で勝利することで、解放することが可能なので、できる限り多くのサタンと戦い、克服することで、霊界での戦いを少なくすることができます。
サタンの主管権から、神様の主管権に人類が戻ることにより、神様が直接主管できる地上天国が実現し、その中には、サタンが干渉できる要素がないので、罪や恨みとは、関係のない世界になり、神様の喜びが溢れる世界になると思います。そのために少しでも貢献できるように願う限りです。
コンテンツを理解したからと言って、サタンと堕落性に対し、戦い克服するできる訳ではありません。「サタンと堕落性」と言う問いに対し、答えるを見つける為のアクションステップを下記を参考に考えてみてください。
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