霊人体の成長の為の真の愛の実践

【霊人体が成長するために必要な要素】

霊界で生活する体のことを霊人体と称する。人間の肉眼では、霊人体を認識できない。霊人体を見るためには、霊的な視野である霊眼で見るしかない。霊眼を持っていない人は、霊界を認識することはできない。何故、人間は、肉体の感覚だけが研ぎ澄まされ、霊的な感覚が殆どないのであろうか。

それは、人間が堕落により、神様と因縁が切れてしまったが為に、神様の愛の世界である霊界について、感知できる能力を成長させる機会を失ってしまった。なので、堕落した人間は、霊界を認識したり、神様を認識することはできないのである。

堕落により、霊的な感覚を失ってしまったのであれば、どうすれば、堕落以前の状態まで、戻し、失った感覚を取り戻す事ができるようになるだろう。また、どのようにしたら、人間は、堕落する以前の神様と共に生き、神様と意思疎通ができた状態に戻ることができるのであろうか。

それは、人間の努力だけでは、絶対に不可能なのである。何故かと言えば、堕落は、人類始祖が、神様を捨て、神様を裏切り、神様の願いと反対の生き方した結果であり、それにより、多くの堕落性と罪を量産して来た。このように神様と因縁を切ってきた歴史を持った人間が努力したからと言って、サタンが邪魔するだろう。結果的には、神様に届くことは難しい。

どのようにしたら、堕落以前の状態に戻すことができるのであろうか、それは、神様との関係性を堕落以前の関係性に取り戻す必要がある。それは、神様の願いを理解し、神様を信頼し、神様の為に生きることができる人でない限り、神様が期待することはないからである。人間が神様からの信頼や期待を裏切ったので、もう一度、信頼や期待を取り戻す為には、失ったものと同等の価値のものを提供しない限り不可能なのである。

聖書には、人間始祖は、「とって食べれば死ぬであろうと」言われた「善悪の実」をとって死んだとされている。つまり、堕落とは霊的・肉的な死を意味する。これを取り戻す為には、霊的・肉的な死を超えない限り、堕落により失った生を取り返すことができない。聖書には、「生きんとするものは死に、死なんとするものは生きる」と書いてあるのは、堕落による死を超えない限り、本来の神様の元で生きることは不可能であると言う意味である。つまり、簡単に言えば、死を覚悟しない限り、神様から失った信頼や期待を取り戻すことはできない。

もう一つ、重要なのは、人間始祖の堕落後、人類を見てこられた神様はどのようなお気持ちであるのであろうか。神様は、人類歴史の中で、ひたすら帰ってくるのを待ち望んで来られた。孤独で、苦しみ、悲しみ、辛い思いをされて来た。誰一人として、神様の苦しみを理解し、慰労して差し上げた人間がいただろうか。堕落以前の人間と神様の関係を再構築すると言う意味は、堕落により失った人類歴史そのものをやり直すことと同じ意味なのである。人類の罪を一身に背負い、神様の願いを一身に背負い、神様を喜ばせようと思いを一身に背負うことができる人しか、失ったもの以上のものを神様に返すことはできないのである。

このように、堕落を超え、霊的に生きると言うことは、人間が望むから実現するのではなく、神様が人類歴史上で、待ち望んで来られたことであり、何よりも、人間の努力とは、比べ物にならない、神様が人類を愛した結果であると言うことを忘れてはいけない。

【目的】

神様の真の愛を中心として、霊生を意識した地上生活することにより、霊人体が成長した真なる人格者となる。

【目標】

地上において、神様の愛を実現させることで、霊人体を成長させ、堕落により失った霊的な生を取り戻す

【戦略】

霊的な世界に対する無知を克服し、神様の愛を中心とした真の愛の実践により、霊人体を成長させることにより、堕落による霊的な死を超え、霊的に生きる。

また、霊人体が成長することによりサタンから干渉され難くなる。サタンは、堕落人間を通し、罪を犯させ堕落性を拡大していこうとするのでより神様の側に近い人間は、嫌うようになる。サタンから嫌われることをすることにより、より神様に近づくことができます。

【戦術】

人間は、堕落により、霊的に死んでしまった。何故かと言えば、霊人体の成長に必要な要素の一つである。神様の心である生心からのエネルギーを受けれる相対に立つことができなくなったからである。これにより霊人体が成長しない人間は、霊界に行っても、神様とは、相対的に遠く神様の真の愛が少ししか届かない、暗くて、寒い世界で、永遠に生きるようになる。

どうやったら、霊人体を成長させることができるのであろうか、それは、地上で、神様の真の愛を実践し、実体化することにより、神様と相対的な関係性を構築し、神様と心情的に繋がることができる。神様と心情的に繋がることで、神様の心である生心から、エネルギーを貰い、地上からの真の愛の実践によるエネルギーと一緒に霊人体が成長するようになる。

【現状】

本来の人間は、神様と意思疎通ができ、神様と心情的に繋がることができる存在であった。しかし、堕落することにより、霊的には、霊人体が成長できず、神様や霊界を認識することができなくなってしまった。また、神様が何を願われているのか分からなくなってしまったので、地上で、生きている目的を見失ってしまった。殆どの人が、死ぬために生きているような人生を送っている。

人類は、生きる目的も、死後の世界や神様の事が分からなくなってしまった。それにより、肉的な生に執着し、肉的な欲望を満たすために生きるようになってしまった。このような人間は、神様とは関係のない、欲望のままに生きるサタンと似たようなものであり、神様が干渉したいと思える対象にはならない。人間を肉的な欲望や生の執着から解放するためには、神様を認識する事ができるようになるための、霊人体を成長させ、霊的な五感を獲得するしかない。

目に見えない霊的な世界を理解するのは、宗教を信じるべきだと思う人が多く、信仰で認識するものであると考える人が多くいると思いますが、信仰では、目に見えない世界を正確に認識することは難しいです。何故かと言えば、信仰よりも確実に霊界を認識する方法は、愛により可能だからです。愛の成長こそ、目に見えない霊的な世界を認識させ、霊人体を成長させ、霊的な五感を獲得する方法になります。

【課題】

それでは、愛により、霊界が認識できると言うところまでは、分かるとしても、何故、人間は、霊界が分からないのでしょうか。それは、人間は堕落によりサタンの属性を引き継ぎ、自己中心的な偽りの愛で生きているからです。先ずは、偽りの愛から、神様を中心とした真の愛を中心に生きる必要があります。偽りの愛と、真の愛の違いは、どこにあるのでしょうか。それは、目的が大きく違います。偽りの愛は、自分を中心に相手から奪ったり、見返りを求める愛になります。真の愛とは、相手を中心に相手を思ったり、見返りを求めない愛です。

真の愛は、失うように見えますが、与えた後に、神様から愛が帰って来るので、枯渇することはありません。自分を中心とした愛は、直ぐに、枯渇してしまいます。愛する対象から、愛が帰ってこなくても、更に、愛する愛であり、失う事を恐れない無条件的な愛になります。例えば、母親が子供に乳を飲ませるのは、見返りを求めるのではなく、ただ、そこに子がいるから、神様の代わりに愛を実践するのです。

【改善】

地上において、真の愛の実態になれば、自然と神様の真の愛に触れ、神様の真の愛の世界である霊界について、認識するようになります。霊界を知り、神様の心情に触れるようになれば、堕落した人間を見て、神様の心情がどのように感じているのか、知るようになります。神様が堕落した人間を見て、悲しまれている事を知れば、神様の悲しみの対象である地上地獄をなくすために貢献するようになります。地上地獄とは、自己中心的な偽りの愛を中心としたお互いに奪い合い、傷付け合い、争っている世界になります。宗教は、本来は、神様の心情を理解し、地上から地獄を撲滅する為に貢献しなくてはならないのです。しかし、悲しいことに、本来の目的を忘れ、逆に争いの火種になってしまっているいます。この宗教の争いも神様を中心とした真の愛を持って、過去の争いを超え、愛し合う事で克服する事が可能になります。

【効果】

霊人体を成長させるためには、サタンの偽りの愛との関係を切る必要があります。神様を中心として、相手の為に愛する事で、サタンが干渉する事ができない真の愛を実践する事ができます。真の愛を実践することにより、真の愛の世界である霊界を知り、真の愛の実体である神様に出会う事ができます。神様と心情的に出会う事ができる事で、堕落によって失われた霊人体を成長する機会を得る事ができ、霊人体が成長する事で、霊界での生活が上手くいきます。

また、霊人体が成長する事で、霊的な存在であるサタンに対し、戦う事ができる力を得る事ができます。サタンを説得したり、サタンに対応する力を得ることにより、サタンを中心として、偽りの愛の世界である地獄を克服する事ができます。霊人体が成長し、神様の心情を理解できるようになれば、神様が悲しまれる対象である地獄のなくす為に努力するのである。地獄をなくすことにより、自然と神様が望まれている理想世界が実現し、理想世界で成長し、霊界に行けば、自然と天上天国で住む事ができるようになる。

【結果】

堕落した天使長であるサタンの偽りの愛により堕落した人間は、神様の愛の世界である霊界で生きる体である霊人体の成長が止まり、死んでいるような状況になってしまった。霊人体が成長していないので、霊的な感性を持っていない人は、地上において、霊界を認識できず、神様は勿論、サタンや自らの霊人体も認識する事ができないのである。人間は、神様の元に帰る為には、霊人体を成長させ、霊的な死をもたらしたサタンとの偽りの愛と戦い、克服し、神様との関係性を再構築する必要がある。

神様との関係性を構築する為には、堕落により失った神様との関係性を構築する必要がある。それは、人間が堕落により、神様の元を離れ、サタンと関係性を結ぶことにより、神様の心情とは、関係の無い生活してきた。神様を悲しませてきた歴史を精算し、神様が喜ばれる歴史を作ることにより、神様の心情を復帰することができる。

【結論】

創造本然の神様と人間は、常に、意思疎通することが関係性であった。しかし、その関係性が堕落した天使長との偽りの愛の関係性を結ぶことにより、失ってしまった。何故、関係性が失ってしまったのか、それは、神様の愛の世界である霊的な世界である霊界において生活する体である霊人体が成長するための栄養素が堕落により供給されなくなり、死んでいると同じような状況になってしまったからである。霊人体が成長できない人間は、霊的な死を迎えているような状況となり、神様と霊界、サタンと自らの霊人体を認識できず、ただ、肉的な感覚と肉的な世界に留まり過ごすようになってしまった。

人間の霊人体の死をもたらしたのは、サタンとの偽りの愛の関係性によるものなので、サタンとの偽りの愛の関係性を断ち、神様との真の愛の関係性を構築しない限り、霊人体の成長はありえない。どのようにしたら神様との真の愛の関係性を構築することができるのであろうか。それは、人間が堕落により、サタンの偽りの愛を中心とした世界を築き、神様とは、関係の無い世界を作ってしまったので、その世界を神様を中心とした世界に変えて行く必要がある。

もし、人類が神様との関係性を構築しようとしても、サタンは、それを許すことはないだろう。このようなサタンからの攻撃をどのように防ぎ、立ち向かうことができるのであろうか。それは、神様の真の愛を中心とし、神様の真の愛を実践することにより、サタンが干渉できない生活することにより、サタンと結ばれた関係性を断つことができる。サタンと関係性を断つことができれば、神様を中心とした生活ができるようになり、神様が願われている生活ができるようになる。

神様を中心とした真の愛は、見返りを求めず、愛し、愛した事を忘れ、更に、愛する愛を意味する。真の愛を実践し、真の愛の実態になる事で、神様と心情的に通じるようになり、神様の心である生心からのエネルギーをもらう事で、霊人体が成長し、霊的な感性を得ることができる。霊的な感性が成長することで、神様の真の愛の世界である霊界について、認識できるようになる。

霊界を認識できるようになる事で、霊的な世界の生である霊生を意識して生活できるようになり、地上生活の目的を霊生を意識した生活ができるようになる。地上生活の目的の一つは、神様の真の愛の実体となり、神様が相対できる人格者になることにより、神様の創造理想を完成した個人になることである。このような個人は、神様が願われている事を理解できるようになり、神様が悲しまれている地上地獄を克服する為に貢献するようになる。

殆どの人は、霊界を認識できず、地上の生だけを目的に生きている。しかし、霊界を実感し、霊的な世界で、神様の真の愛の世界で永遠な時を過ごすことが理解できれば、地上世界は、瞬間であり、永遠な時の世界である霊界での生活を基準として生きることができるようになる。地上生活の目的は、永遠なときの世界である霊界において、神様の真の愛の中で生きる為に、地上生活活でどれだけ真の愛を実践し、実体化できたかによって決まってくる事を知ることができる。なので、人間は、地上において、真の愛を実体化する為に努力するようになり、そのような真の愛の人格者が増えれば、神様が願われる地上天国を実現する為に努力するであろう

今の地上は、神様が住みたいと思われる世界とは程遠い、地上地獄である。霊人体が成長した真の愛の人格者は、神様の心情を理解できるので、神様が悲しまれる地上地獄を克服する為に努力する様になるのである。このように地上地獄は、神様の心情を理解した真の愛の人格者の真の愛の実践により、克服することが可能なのである。

地上地獄を克服し、地上を神様が住みたいと思われる世界に変えていくことに貢献した個人は、霊界に行っても、神様と心情的に近い場所で生きるようになり、永遠な世界で、神様の真の愛の中で生きることができるのである。皆さんが、生きているうちに神様の心情と出会い、神様の心情を伝えることができる真なる人格者になる事を願う限りである。

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