注目

霊界と地上の共同作戦

【疑問提起】

今、世界中で起きている難問題は、地上だけでなく、同じように霊界でも起きている。何故かと言えば、地上の問題は、先祖の罪が原因であり、罪が精算されていないからである。つまり、先祖達の誤りが霊界で精算されない限り、地上の難問題は解決しない。それならば、どのようにしたら霊界の課題を解決することができるか。それは、地上において、霊界の課題解決の為に努力し、地上で解決することにより、霊界の課題を解決することができる。

人類歴史は、人間始祖の堕落により、サタンの主管下に落ち、神様や霊界を認識できなくなってしまった。神様と霊界が認識できず、霊的に生きることが難しくなってしまった。神様と霊界を認識できない人類は、サタンの主管下で、罪を繁殖し、怨讐関係を築いてしまった。結果的に、神様が干渉できない文化や社会を築いた。この問題は、一人の人間の努力や力ではどうすることもできない。長きに渡り人類を主管してきたサタンに対し、人類は、どのように向き合い立ち向かうことができるのであろうか。

サタンに立ち向かう為には、サタンに対抗することができる霊的な力が必要である。しかし、霊的な力があったとしても、その力がサタンの力よりも劣っていたら、サタンに敗北してしまう。霊的にサタンに打ち勝つことができるのは、サタンがサタンになったのか、そして、サタンの本来の目的は何であり、サタンが本来の姿を認識する必要がある。また、サタンがサタンとなった理由は、自己を中心とした偽りの愛により、被造物としての自己の立場を離れ、過分なる欲望を満たそうした結果なので、真の愛を実体化した真なる主人の立場に立った人間が、真の愛により、堕落した天使長を主管することで、本来の天使の立場を復帰することができるのである。

堕落する前のサタンは、天使長の立場にあり、神様が人間を創造する際には、神様の僕として、貢献し、神様の創造目的を理解することができる立場にあった。人間の創造が完了し、人間が自らの成長期間を全うし、完成した後は、人間に侍るべきであった。しかし、サタンは、創造主である神様の願いを理解することができず、また、本来は、侍るべき存在であった人間を騙し、自己を中心とした偽りの愛により、過分なる欲望により、堕落した。

人間は、堕落により、堕落した天使長の属性を引き継いだ。人間が神様の基に帰れないようになったのは、堕落した天使長の属性である堕落性がある為である。人間は、この堕落性と戦い、勝利し、克服させることで、初めて神様の前に出ることができるのである。また、堕落した天使であるサタンは、常に、人間が神様の前に出る事を防ぎ、邪魔して来た。人間は、このサタンと戦い、勝利し、克服させる事で、被造物に対し、本来の立場を取り戻すことができるのである。

堕落性は、どのようにしたら克服することができるのであろうか。それは、サタンの属性により発生した罪の歴史を精算するしか無いのであある。それは、人類が、自己を中心とした偽りの愛により、自らの私欲の為に、争い、奪い合って来た歴史から、神様を中心とした真の愛により、相手の為に生き、与え、分かち合うことができるようにならないといけないのである。それによりサタンとは関係の無い事を歴史を作り、神様が住みたいと望まれる世界を築くことができるようになる。

サタンは、どのようにしたら克服することができるのであろうか。それは、サタンが主管して来た被造物を本来の主人のである神様に変えることにより、克服することができる。それは、人類がサタンの偽りの愛の主管下で、神様とは関係のない歴史を築いて来たことから、神様の真の愛の主管下で、神様の真の愛の主管により、天使を含む、被造物を愛することにより、被造物の主人の立場を復帰するのである。サタンがサタンになった理由は、愛だったので、その偽りの愛を超える真の愛の実体にならない限り、サタンは屈服するはずが無い。

サタンも堕落性も、地上のみならず、霊界においても人類を主管して来た。また、人類は、過去の多くの罪により、サタンの主管され、罪を拡大させて来た。この罪の歴史を精算し、克服する為には、人類は、地上と霊界を本来の主人である神様を中心とした世界に変える為に貢献しない限り、サタンが主管して来た罪の歴史から解放されないのである。また、サタンが主管して来た歴史を精算し、克服する為には、地上と霊界を本来の神様を主人として、天使を主管することにより、人間が被造物に対し、主人の立場を復帰し、全ての被造物を創造目的に沿って主管することにより、神様が喜ばれる世界を復帰することが可能となる。

【目的】

神様の真の愛を中心として、神様を

主人として侍り、神様の創造性を相続し、神様の真の愛で、被造物を愛することにより、被造物に対し、主人の立場を復帰した真なる人格者となる。

【目標】

地上と霊界において、罪の歴史から真の愛の歴史に変え、サタンの主管から、真の愛で、サタンを主管することで、神様の真の愛が実現した世界を取り戻す。

【戦略】

人類始祖の堕落により、人間は、サタンの主管下で、罪と憎しみの歴史を重ねて来た。人類歴史は、神様と関係のない歴史であり、神様は、サタンの歴史の中に、神様側の中心人物を立てて、サタンとの戦い、勝利を重ねて来た。そのように神様が選ばれる中心人物とは、どのような人なのか。それは、罪と悪に染まってた歴史を精算し、歴史を神様の願われる方向性に導く事ができる人である。

中心人物は、サタンの偽りの愛を中心とした、人を恨んだり、妬んだり、傷つけるような行動せず、常に、神様の代わりに愛そうと努力する人である。また、自らを攻撃し、傷つけようとする人を許し、愛し、団結することができる人でもある。つまり、自らの性格や感情にある堕落性を理解し、主管されるのではなく、神様を中心とした愛により、葛藤や因縁を克服することができる。また、過去に恨み合った関係性があったとしても、恨みにより、憎しみを増幅させるのではなく、神様が人類を愛したいと言う、同じ、共通の目的を基に過去を超え、未来を作ることができるようになる。

【戦術】

何故、霊界と地上が共同で立ち向かわなければならないのかと言えば、サタンも堕落性も地上と霊界に同じく存在するからである。つまり、共通の敵と戦う為に力を合わせる必要があるという意味である。霊界は、過去の世界で、罪と悪により主管された堕落人間により作られた歴史により、天上地獄のようになっている。また、地上は、過去の恨みの歴史を引き継いでおり、貧富の格差や環境破壊など、地上地獄と化してしまっている。

地上と霊界の地獄を解放する為には、サタンと堕落性と戦い、克服することで、サタンを中心として作られた世界を神様を中心とした世界に変えていくのである。それにより、堕落により、サタンが偽りの主人として主管した地上と霊界を本来の主人である神様の基に返すことができる。地上と霊界をサタンの手から、神様の基に変える為に貢献した人格者は、神様の願いを叶え、神様の代わりに被造物を主管できる。地上と霊界からサタンと堕落性がなくなれば、これ以上、神様を悲しまれる対象がなくなることにより、神様が喜ばれる世界が実現するのである。

【現状】

地上と霊界の人間は、サタンの主管下にあり、サタンを主人のように崇めて生活している。それでは、サタンは、人間をどのように主管しているのであろうか、それは、堕落により、サタンの属性を引き継いだ自己中心とした偽りの愛を中心に生きるという堕落性を用いる。このように地上と霊界には、神様よりもサタンに似た堕落人間位より、罪と悪の歴史が繰り返され、サタンが望んだように恨みの歴史を構築した。

勿論、神様もサタンの攻撃から人類を守る為、多くの中心人物を送り、導いて来られたが、神様よりもサタンの勢力が強く、神様は、人類を導くのに苦労されてこられた。このような神様の苦労を人類が知るのであれば、神様が願われる世界を実現する為に努力するべきである。どのようしたら、神様の願われる世界が実現するのであろうか。

【課題】

先ず、最初に復帰しなければならないのが、人間始祖の堕落により失われた神様との関係性である。堕落により、神様の創造目的とは、関係のない行動した人間は、神様とは縁が切れてしまい。心情的な因縁を結べなくなってしまった。本来、人間と神様が結ぶべき心情的な因縁とは何であろうか。それは、親子の心情である。神様は、原理原則で、人間を創造されたが、原理原則よりも自由意思を持った愛を中心に人間を創造された。なので、人間は、原理よりも強力な偽り愛の力によれば、堕落する可能性があったのである。堕落を復帰する為の目的や力も神様の真の愛であり、神様の真の愛により、人間は、神様と親子の心情を結ぶ事ができる。

次に、人間が堕落により失ったのは、被造物に対する主管性を失ってしまった。堕落により、神様の子女の立場から、自ら落ちてしまってた人間は、被造物に対し、神様の愛で愛せる立場を失い。被造物も本来の主人を失い、彷徨い続けているのである。地上に主人がいないと万物が嘆息していると言うのは、これを意味しているのである。本来の被造物と人間との関係性は、どのようなものだったのだろうか。それは、正に、心と体の関係性と同じで、被造物が自分の体のように感じ、生活するようになる。つまり、歴史上の罪の歴史についても、自分の罪のように自覚し、罪を精算する為に努力するのである。地上と霊界において、全ての被造物が神様の愛の主管下に戻るまで、歴史を精算し、復帰する為に努力するのである。

【改善】

神様との関係性を改善する為には、人間始祖の堕落により、失った関係性から、神様を中心とした新しい関係性を構築する必要がある。つまり、堕落により発生した人類歴史でなく、新しく神様を中心とした人類歴史を作る為に貢献するのである。また、新しい神様を中心とした歴史は、地上だけでなく、霊界においても実現していくのである。その歴史は、神様を人類の親として迎え、人類は、神様の子女として、被造物を神様の愛で主管し、被造物を神様の創造理想で主管する事ができなくてはならない。

しかし、これを実現する為には、多くのサタンと堕落性が許さないだろう。それを阻止する為に攻撃して来るに違いない。その攻撃に対抗する為の力は、真の愛により、サタンと堕落性を許し、愛し、団結するしかない。サタンは、自分が偽りの主人である事を認めようとせず、人間を罪によって主管しようとする。しかし、人間がサタンや堕落性の声に応えるのではなく、心情と良心の声を聞いて、神様の願いを理解し、応える事で、サタンと堕落性を克服し、神様の立場で、愛する事ができるようになる。

【効果】

地上と霊界から偽りの主人であるサタンと堕落性を追い出し、代わりに真なる主人を迎えることにより、神様を中心とした世界が実現するのである。しかし、サタンと堕落性は、簡単には、人類を諦めない。どうすれば、打ち勝つ事ができるのであろうか、それは、地上と霊界が分かれてしまったもう一度、つなげる為に貢献しなければならない。地上と霊界は、協力し合いながら共通の敵であるサタンと堕落性を克服する為に努力するのである。

どうすれば、地上と霊界が協力する事ができるのであろうか。それは、地上は、霊界の為に、霊界は、地上の為に貢献するのである。具体的に言えば、先祖は後孫の為に、後孫は、先祖の為に貢献し、お互いが罪と悪の歴史と戦い、精算する為に努力するのである。実は、地上と霊界との関係性も良い関係とは言えない。先祖の罪により、後孫が苦しむこともあり得るだろうし、後孫の罪により、先祖の功績が奪われることも十分あり得る。なので、人類歴史を精算するという共通の目的を基に霊界と地上が一つとなり、神様と全人類、被造物の為に、サタンと堕落性と戦い、克服することにより、勝利する事ができるのである。

【結果】

人類歴史は、人間始祖の堕落により、偽りの主人であるサタンの僕の立場に落ちてしまい、堕落性により、罪と悪により主管されて来た。堕落により失ってしまった主管性を取り戻す為には、堕落と逆の経路を辿り、失ったものを取り戻す為に努力するしかない。堕落により失ったものは、神様の心情を知る事ができる神様の子としての立場である。もう一つは、天使長も含め、全ての被造物に対し、神様の子として、神様の真の愛を持って主管する主管位の立場である。

【結論】

どのようにして、失ったものを取り返す事ができるのであろうか、それは、偽りの主人であるサタンの偽りの愛により、罪と悪に染まった人類歴史を精算するしかないのである。人類の罪と悪は、地上と天上に築かれている地獄として具現化されている。つまり、地上と天上に築かれた地獄を精算し、創造本然の霊界と地上を創造する事が、神様と失われた親子の関係を取り戻す方法である。

地獄を精算する為のには、地獄を作った原因であるサタンと堕落性と戦い、勝利するしかない。しかし、サタンと堕落性は、霊的な存在であるので、簡単に勝利することはできない。霊的な存在と戦う事ができるのは、霊界であるが、霊界は地上の共助がない限りサタンと戦うことはできない。ここで重要なのが、サタンと堕落性と言うのは、霊界と地上界の共通の敵であり、克服する為の対象なのである。つまり、霊界は、過去のサタンと堕落性と戦い、地上は、現在のサタンと堕落性と戦い、克服することにより、勝利する事ができるのである。

つまり、サタンと堕落性を克服する為には、過去と現在が一つの目的の為に一つとなり、克服することができなくてはならない。つまり、過去は、先祖などの既に霊界に行かれた愛の繋がりがある方々による共助が力となり、現在は、後孫等、愛により繋がある人々の共助が力になります。過去にも現在にも、憎しみ合い、恨み合っている人々がいたとしても、共通の敵であるサタンと堕落性を克服する為には、一緒に力を合わせ合うことにより、お互いに支え合って戦うことができるようになります。

目に見えない霊界がどのようにして地上界と一緒に共同作戦を展開するのかと言えば、共通の敵であるサタンと堕落性と戦い、克服し、勝利する為に力を合わせることができます。人類歴史は、サタンに主管された歴史であった。しかし、霊界と地上界が力を合わせ戦うことができるのであれば、サタンとの戦いに勝利し、堕落により失った主管性を取り戻すことができる。人類が偽りの主人であるサタンの主管から、真なる主人である神様の主管に帰ることにより、神様が直接主管される世界がなされ、神様と人類と被造物が喜ぶことができるようになる。

注目

霊人体の成長の為の真の愛の実践

【霊人体が成長するために必要な要素】

霊界で生活する体のことを霊人体と称する。人間の肉眼では、霊人体を認識できない。霊人体を見るためには、霊的な視野である霊眼で見るしかない。霊眼を持っていない人は、霊界を認識することはできない。何故、人間は、肉体の感覚だけが研ぎ澄まされ、霊的な感覚が殆どないのであろうか。

それは、人間が堕落により、神様と因縁が切れてしまったが為に、神様の愛の世界である霊界について、感知できる能力を成長させる機会を失ってしまった。なので、堕落した人間は、霊界を認識したり、神様を認識することはできないのである。

堕落により、霊的な感覚を失ってしまったのであれば、どうすれば、堕落以前の状態まで、戻し、失った感覚を取り戻す事ができるようになるだろう。また、どのようにしたら、人間は、堕落する以前の神様と共に生き、神様と意思疎通ができた状態に戻ることができるのであろうか。

それは、人間の努力だけでは、絶対に不可能なのである。何故かと言えば、堕落は、人類始祖が、神様を捨て、神様を裏切り、神様の願いと反対の生き方した結果であり、それにより、多くの堕落性と罪を量産して来た。このように神様と因縁を切ってきた歴史を持った人間が努力したからと言って、サタンが邪魔するだろう。結果的には、神様に届くことは難しい。

どのようにしたら、堕落以前の状態に戻すことができるのであろうか、それは、神様との関係性を堕落以前の関係性に取り戻す必要がある。それは、神様の願いを理解し、神様を信頼し、神様の為に生きることができる人でない限り、神様が期待することはないからである。人間が神様からの信頼や期待を裏切ったので、もう一度、信頼や期待を取り戻す為には、失ったものと同等の価値のものを提供しない限り不可能なのである。

聖書には、人間始祖は、「とって食べれば死ぬであろうと」言われた「善悪の実」をとって死んだとされている。つまり、堕落とは霊的・肉的な死を意味する。これを取り戻す為には、霊的・肉的な死を超えない限り、堕落により失った生を取り返すことができない。聖書には、「生きんとするものは死に、死なんとするものは生きる」と書いてあるのは、堕落による死を超えない限り、本来の神様の元で生きることは不可能であると言う意味である。つまり、簡単に言えば、死を覚悟しない限り、神様から失った信頼や期待を取り戻すことはできない。

もう一つ、重要なのは、人間始祖の堕落後、人類を見てこられた神様はどのようなお気持ちであるのであろうか。神様は、人類歴史の中で、ひたすら帰ってくるのを待ち望んで来られた。孤独で、苦しみ、悲しみ、辛い思いをされて来た。誰一人として、神様の苦しみを理解し、慰労して差し上げた人間がいただろうか。堕落以前の人間と神様の関係を再構築すると言う意味は、堕落により失った人類歴史そのものをやり直すことと同じ意味なのである。人類の罪を一身に背負い、神様の願いを一身に背負い、神様を喜ばせようと思いを一身に背負うことができる人しか、失ったもの以上のものを神様に返すことはできないのである。

このように、堕落を超え、霊的に生きると言うことは、人間が望むから実現するのではなく、神様が人類歴史上で、待ち望んで来られたことであり、何よりも、人間の努力とは、比べ物にならない、神様が人類を愛した結果であると言うことを忘れてはいけない。

【目的】

神様の真の愛を中心として、霊生を意識した地上生活することにより、霊人体が成長した真なる人格者となる。

【目標】

地上において、神様の愛を実現させることで、霊人体を成長させ、堕落により失った霊的な生を取り戻す

【戦略】

霊的な世界に対する無知を克服し、神様の愛を中心とした真の愛の実践により、霊人体を成長させることにより、堕落による霊的な死を超え、霊的に生きる。

また、霊人体が成長することによりサタンから干渉され難くなる。サタンは、堕落人間を通し、罪を犯させ堕落性を拡大していこうとするのでより神様の側に近い人間は、嫌うようになる。サタンから嫌われることをすることにより、より神様に近づくことができます。

【戦術】

人間は、堕落により、霊的に死んでしまった。何故かと言えば、霊人体の成長に必要な要素の一つである。神様の心である生心からのエネルギーを受けれる相対に立つことができなくなったからである。これにより霊人体が成長しない人間は、霊界に行っても、神様とは、相対的に遠く神様の真の愛が少ししか届かない、暗くて、寒い世界で、永遠に生きるようになる。

どうやったら、霊人体を成長させることができるのであろうか、それは、地上で、神様の真の愛を実践し、実体化することにより、神様と相対的な関係性を構築し、神様と心情的に繋がることができる。神様と心情的に繋がることで、神様の心である生心から、エネルギーを貰い、地上からの真の愛の実践によるエネルギーと一緒に霊人体が成長するようになる。

【現状】

本来の人間は、神様と意思疎通ができ、神様と心情的に繋がることができる存在であった。しかし、堕落することにより、霊的には、霊人体が成長できず、神様や霊界を認識することができなくなってしまった。また、神様が何を願われているのか分からなくなってしまったので、地上で、生きている目的を見失ってしまった。殆どの人が、死ぬために生きているような人生を送っている。

人類は、生きる目的も、死後の世界や神様の事が分からなくなってしまった。それにより、肉的な生に執着し、肉的な欲望を満たすために生きるようになってしまった。このような人間は、神様とは関係のない、欲望のままに生きるサタンと似たようなものであり、神様が干渉したいと思える対象にはならない。人間を肉的な欲望や生の執着から解放するためには、神様を認識する事ができるようになるための、霊人体を成長させ、霊的な五感を獲得するしかない。

目に見えない霊的な世界を理解するのは、宗教を信じるべきだと思う人が多く、信仰で認識するものであると考える人が多くいると思いますが、信仰では、目に見えない世界を正確に認識することは難しいです。何故かと言えば、信仰よりも確実に霊界を認識する方法は、愛により可能だからです。愛の成長こそ、目に見えない霊的な世界を認識させ、霊人体を成長させ、霊的な五感を獲得する方法になります。

【課題】

それでは、愛により、霊界が認識できると言うところまでは、分かるとしても、何故、人間は、霊界が分からないのでしょうか。それは、人間は堕落によりサタンの属性を引き継ぎ、自己中心的な偽りの愛で生きているからです。先ずは、偽りの愛から、神様を中心とした真の愛を中心に生きる必要があります。偽りの愛と、真の愛の違いは、どこにあるのでしょうか。それは、目的が大きく違います。偽りの愛は、自分を中心に相手から奪ったり、見返りを求める愛になります。真の愛とは、相手を中心に相手を思ったり、見返りを求めない愛です。

真の愛は、失うように見えますが、与えた後に、神様から愛が帰って来るので、枯渇することはありません。自分を中心とした愛は、直ぐに、枯渇してしまいます。愛する対象から、愛が帰ってこなくても、更に、愛する愛であり、失う事を恐れない無条件的な愛になります。例えば、母親が子供に乳を飲ませるのは、見返りを求めるのではなく、ただ、そこに子がいるから、神様の代わりに愛を実践するのです。

【改善】

地上において、真の愛の実態になれば、自然と神様の真の愛に触れ、神様の真の愛の世界である霊界について、認識するようになります。霊界を知り、神様の心情に触れるようになれば、堕落した人間を見て、神様の心情がどのように感じているのか、知るようになります。神様が堕落した人間を見て、悲しまれている事を知れば、神様の悲しみの対象である地上地獄をなくすために貢献するようになります。地上地獄とは、自己中心的な偽りの愛を中心としたお互いに奪い合い、傷付け合い、争っている世界になります。宗教は、本来は、神様の心情を理解し、地上から地獄を撲滅する為に貢献しなくてはならないのです。しかし、悲しいことに、本来の目的を忘れ、逆に争いの火種になってしまっているいます。この宗教の争いも神様を中心とした真の愛を持って、過去の争いを超え、愛し合う事で克服する事が可能になります。

【効果】

霊人体を成長させるためには、サタンの偽りの愛との関係を切る必要があります。神様を中心として、相手の為に愛する事で、サタンが干渉する事ができない真の愛を実践する事ができます。真の愛を実践することにより、真の愛の世界である霊界を知り、真の愛の実体である神様に出会う事ができます。神様と心情的に出会う事ができる事で、堕落によって失われた霊人体を成長する機会を得る事ができ、霊人体が成長する事で、霊界での生活が上手くいきます。

また、霊人体が成長する事で、霊的な存在であるサタンに対し、戦う事ができる力を得る事ができます。サタンを説得したり、サタンに対応する力を得ることにより、サタンを中心として、偽りの愛の世界である地獄を克服する事ができます。霊人体が成長し、神様の心情を理解できるようになれば、神様が悲しまれる対象である地獄のなくす為に努力するのである。地獄をなくすことにより、自然と神様が望まれている理想世界が実現し、理想世界で成長し、霊界に行けば、自然と天上天国で住む事ができるようになる。

【結果】

堕落した天使長であるサタンの偽りの愛により堕落した人間は、神様の愛の世界である霊界で生きる体である霊人体の成長が止まり、死んでいるような状況になってしまった。霊人体が成長していないので、霊的な感性を持っていない人は、地上において、霊界を認識できず、神様は勿論、サタンや自らの霊人体も認識する事ができないのである。人間は、神様の元に帰る為には、霊人体を成長させ、霊的な死をもたらしたサタンとの偽りの愛と戦い、克服し、神様との関係性を再構築する必要がある。

神様との関係性を構築する為には、堕落により失った神様との関係性を構築する必要がある。それは、人間が堕落により、神様の元を離れ、サタンと関係性を結ぶことにより、神様の心情とは、関係の無い生活してきた。神様を悲しませてきた歴史を精算し、神様が喜ばれる歴史を作ることにより、神様の心情を復帰することができる。

【結論】

創造本然の神様と人間は、常に、意思疎通することが関係性であった。しかし、その関係性が堕落した天使長との偽りの愛の関係性を結ぶことにより、失ってしまった。何故、関係性が失ってしまったのか、それは、神様の愛の世界である霊的な世界である霊界において生活する体である霊人体が成長するための栄養素が堕落により供給されなくなり、死んでいると同じような状況になってしまったからである。霊人体が成長できない人間は、霊的な死を迎えているような状況となり、神様と霊界、サタンと自らの霊人体を認識できず、ただ、肉的な感覚と肉的な世界に留まり過ごすようになってしまった。

人間の霊人体の死をもたらしたのは、サタンとの偽りの愛の関係性によるものなので、サタンとの偽りの愛の関係性を断ち、神様との真の愛の関係性を構築しない限り、霊人体の成長はありえない。どのようにしたら神様との真の愛の関係性を構築することができるのであろうか。それは、人間が堕落により、サタンの偽りの愛を中心とした世界を築き、神様とは、関係の無い世界を作ってしまったので、その世界を神様を中心とした世界に変えて行く必要がある。

もし、人類が神様との関係性を構築しようとしても、サタンは、それを許すことはないだろう。このようなサタンからの攻撃をどのように防ぎ、立ち向かうことができるのであろうか。それは、神様の真の愛を中心とし、神様の真の愛を実践することにより、サタンが干渉できない生活することにより、サタンと結ばれた関係性を断つことができる。サタンと関係性を断つことができれば、神様を中心とした生活ができるようになり、神様が願われている生活ができるようになる。

神様を中心とした真の愛は、見返りを求めず、愛し、愛した事を忘れ、更に、愛する愛を意味する。真の愛を実践し、真の愛の実態になる事で、神様と心情的に通じるようになり、神様の心である生心からのエネルギーをもらう事で、霊人体が成長し、霊的な感性を得ることができる。霊的な感性が成長することで、神様の真の愛の世界である霊界について、認識できるようになる。

霊界を認識できるようになる事で、霊的な世界の生である霊生を意識して生活できるようになり、地上生活の目的を霊生を意識した生活ができるようになる。地上生活の目的の一つは、神様の真の愛の実体となり、神様が相対できる人格者になることにより、神様の創造理想を完成した個人になることである。このような個人は、神様が願われている事を理解できるようになり、神様が悲しまれている地上地獄を克服する為に貢献するようになる。

殆どの人は、霊界を認識できず、地上の生だけを目的に生きている。しかし、霊界を実感し、霊的な世界で、神様の真の愛の世界で永遠な時を過ごすことが理解できれば、地上世界は、瞬間であり、永遠な時の世界である霊界での生活を基準として生きることができるようになる。地上生活の目的は、永遠なときの世界である霊界において、神様の真の愛の中で生きる為に、地上生活活でどれだけ真の愛を実践し、実体化できたかによって決まってくる事を知ることができる。なので、人間は、地上において、真の愛を実体化する為に努力するようになり、そのような真の愛の人格者が増えれば、神様が願われる地上天国を実現する為に努力するであろう

今の地上は、神様が住みたいと思われる世界とは程遠い、地上地獄である。霊人体が成長した真の愛の人格者は、神様の心情を理解できるので、神様が悲しまれる地上地獄を克服する為に努力する様になるのである。このように地上地獄は、神様の心情を理解した真の愛の人格者の真の愛の実践により、克服することが可能なのである。

地上地獄を克服し、地上を神様が住みたいと思われる世界に変えていくことに貢献した個人は、霊界に行っても、神様と心情的に近い場所で生きるようになり、永遠な世界で、神様の真の愛の中で生きることができるのである。皆さんが、生きているうちに神様の心情と出会い、神様の心情を伝えることができる真なる人格者になる事を願う限りである。

注目

霊界の実体と地上生活

【地上生活の目的と霊界生活】

多くの人が、「生きる目的」とは何かを探しているが、見つけることができず、死んでもなお、見つけることができず、苦しみ続けている。多くの人達が、悩み、苦しみながら、生きているが、死への恐怖を取り除けた人は、殆どいない。

それは、生きている目的は何なのか、死んだらどうなるのか、死後の世界は実在するのかについて、答えが出ていないからである。死後の世界がどうなっているのか、死んだらどうなるのか、分かっていない。生きている目的は何なのかを探求する為に、人類歴史は、宗教を作り、死と向き合って来た。しかし、宗教を信じる人たちの中で、死の恐怖から解放された人は多くはない。

どうしたら、死の恐怖から人類は解放されるのであろうか、それは、生きる目的、死とは何なのか、死後の世界とは、いったいどんな世界なのかを知る必要がある。それにより、死と向き合い、死を受け入れることにより、死を乗り越えることができる。

死と言う概念は、二つある。一つは、肉体の死を意味する。もう一つは、神様との関係性が切れていることにより、神様の目から見たら、認識され難い存在になってしまった霊的な死である。神様の目から見たら、人間は、認識することが難しく、殆ど、死にかけているのである。

神様から見れば、人間は、サタンとの偽りの愛により、堕落し、創造目的から外れてしまった。創造目的通りに生きることが、生きていると言うのであれば、死んでいると言っても、過言ではない。しかし、神様の愛で創造されたので、創造目的から外れた死にかけた存在で合っても、諦めることができない。親不孝な子供であって、親は、いつかは、親の心情を理解し、親の元に戻ってくることを願うように神様も同じである。自ら、神様との関係性を切って、死を選んだ人間が、死を克服し、創造目的通りに生きて、神様の前に戻ってくることを願っているのである。

ここでは、神様の創造目的から離れ、神様の元に帰れなくなったことを霊的な死と説明する。また、肉体が死ぬことを肉的な死と説明する。本来、創造目的通りに生きる事ができていない人間は、肉的にも死んでいると表現する。霊的な死を克服し、肉的な死の意味を理解することにより、神の創造目的通りに霊肉共に生きることができる。霊肉共に死の恐怖から解放されることにより、生きる目的が分かる様になり、死後に訪れる世界である霊界について、理解し、準備することができる。

また、霊界と言う世界が、死後に訪れる世界ではなく、地上と表裏一体の世界であり、無形だが実在する世界の無形実体世界である。地上人達が霊界を認識できなくなったのは、霊的な死により、神様との関係性が切れてしまい、霊的な感覚が育っていない為、認識できないのである。霊界は、神様の真の愛の世界であり、地上で、神様の真の愛の実体になることにより、いつでも、霊界を感じることができ、霊界が死後の世界ではなく、常に、実在する世界であることを認識することができるようになる。

このように、肉体の死の恐怖を超え、霊的な成長を促し、霊界について、常に感じ取ることができるようになるように願う限りである。そうすれば、神様の願う創造本然の地上生活が可能であり、創造目的を果たした人間が霊界により、神様の愛の中で、永遠な幸せを感じることができる。

【目的】

神様の真の愛を中心として、霊人体の死と、肉体の死の恐怖を克服する。神様の真の愛を実践することにより、常に霊界を実感できるようになる。霊界を実感し、霊界での生活である霊生を基準にした地上生活を実現する。神様の創造本然の生活をすることで神様の個人的な創造目的を実体化する人格者となる。

【目標】

死の恐怖や霊的な無知をもたらしたサタンと堕落性を戦い、克服する。肉体の死の恐怖を克服する。霊界を実感する。霊的に神様と出会う。神様が願われる地上・霊界生活を実現する。個人的な創造目的を実体化する人格者となり神様を喜ばせる。

【戦略】

人間は、死の恐怖から解放されていない。それは、死後に肉体を脱いで生活する霊界に対し、無知であるので、霊的な無知による恐怖がある。また、サタンと主従関係にある人間は、神様との関係性が切れており、神様との関係性が切れているので、霊的な命が乏しい状態である。簡単に説明すると霊的には、ゾンビや良くて、幼児である。このような状態では、例え、地上で神様の為に生きたと考える人でも、良くて幼児であり、神様を認識することは難しい。もし、地上で神様との因縁を持てなければ、ゾンビのような生活を霊界ですることになる。

肉体の死の恐怖を克服する為には、サタンとの関係を切り、神様との関係性を構築することが必要である。神様と真の愛の関係性を構築し、神様の愛の世界である霊界に対し理解できるようになる。地上で真の愛の実体である真の人格者になれば、霊界の実体をリアルタイムで実感することができるようになる。

【戦術】

霊界を感じることができるようになる為には、先ずは、神様との真の愛を結ぶ必要がある。真の愛を結ぶのは、血統的な因縁を意味する。つまり、自分の血統の中に入り込んでいるサタンとの血統的な因縁と戦い、克服する必要がある。

例えば、過去に殺しあったり、奪い合った先祖達がいたのであれば、それを解く為に努力しなければなりません。例えば、戦争を起こした国の人が仲良く過ごすのは難しいのは、本人達の努力よりも、先祖の因縁が解放されていないので、仲良くすることが難しい。常に、神様や霊界を感じ、神様を愛する生活ができていないのであれば、先祖や本人の功績が足らず、争いの歴史を精算できていないからである。

自分自身の心と体の矛盾性は勿論、先祖達の争いの歴史を精算する為に貢献するのであれば、神様が愛したいと思える人格者になれる。

【現状】

霊界は、神様の真の愛の世界である。しかし、霊界で神様の真の愛が常に届くのは、天国ぐらいであり、それ以外は、神様の真の愛とは、程遠い世界である。何故かと言えば、過去に起こった人類の争いの歴史により、サタンを中心とした偽りの愛で生きた人は、神様の前に出るのが恥ずかしく、自ら神様と距離を置き、暗く、厳しい環境を選ぶのである。

また、地上において、霊界に対しての無知や死の恐怖から解放されないのは、地上において、神様の真の愛を実践していないので、霊的な感性が成長しておらず、霊界を感じることができず、無知による恐怖から解放されないからである。例え、霊界を知ったからとしても、先祖達の罪が精算されていないのであれば、死後に行く世界が悲惨なものであるので、同じく、死を恐れ、宗教等を通し、先祖の罪を償う為に努力するのである。

【課題】

神様が愛せる人類がいない理由は、人類は、神様の主管下におらず、サタンの主管下で生活しているからである。何故かと言えば、人類歴史は、常に、サタンの主管され、罪を犯して来た歴史なので、血統に残された罪の歴史を精算する為に努力しない限り、神様が愛したいと思える人は存在しない。もし、神様が愛そうとされたとしても、自分の血統的な罪の大きさを知ったら、恥ずかしく、神様の前に出ることはできない。

人類がサタンの主管下で、偽りの愛を中心に生きている限り、神様の真の愛の世界である霊界に対し、知る術は持っていない。もし、知ろうと努力したとしても、サタンが血統的な罪を条件に邪魔してくる。先ずは、自分の中の血統的な罪を精算し、サタンの偽りの愛の主管下から抜け出さない限り、霊界を知ることも、霊界を実感することもできず、神様の真の愛には触れることもできない。結果的に霊的な生を実感できないので、肉的な死の恐怖から解放されない。

【改善】

どうすれば、死の恐怖から解放され、霊界の実体を実感することができるのでしょうか?それは、サタンの偽りの愛の主管下から、神様の真の愛の主管下になる必要があります。それは、サタンとの血統的な因縁を絶ち、神様を中心とした血統的な因縁を持つしかありません。

サタンとの血統的な因縁とは、なんでしょうか?それは、自分自身の中にある自己中心的な偽りな愛を中心として構築された価値観や習慣性を意味します。また、サタンの偽りな愛の主管下にいたので、歴史的に構築された文化、風習を意味します。

先ずは、神様の愛を中心にした価値観や習慣性を構築します。それは、自分を中心としたものではなく、神様を中心として生きることを意味します。

具体的には、常に、神様のことを愛する生活しているのかと言う意味です。神様は、今現在も、地上において、争いにより奪われている命を悲しまれていらっしゃいます。悲しみの神様を慰労し、どのようにしたら人類を神様の前に導くのか、神様と一緒に悩んでみてください。神様は共に悩み、苦しみ、悲しんでくれる人を求めています。自分が幸せになりたいから神様を探すのではありません。神様を幸せにすることが、自分が生きる目的であり、生きる価値であり、生きる意義である。神様の幸せを常に感じることができれば、その人は、それ以降は、死の恐怖も悲しみもなくなるはずです。

【効果】

神様の真の愛の実体になることができれば、地上生活の中で、霊界を感じとることができ、霊界で生活する体である霊人体を実感できます。そのような感覚を持った人は、地上生活は、霊界での生活である霊生を準備するための期間であり、神様の真の愛の世界である霊界において、神様からのより近い場所で生きる為に努力するようになります。神様からより近い場所で住む為には、地上において、神様を悲しませている地上地獄をなくすためにどれだけ貢献したのかが評価される。

【結果】

地上において、神様の真の愛を実体化させ、神様の真の愛の人格者となれば、神様の代わりに代わりに神様の愛を地上に伝える中心人物となる。

また、神様の真の愛の実体になることにより、霊界と意思疎通することができるようになり、霊界の実体を地上に伝えることができ、地上と霊界を繋げる架け橋となることができる。

地上生活は、霊界での霊生のための準備期間であると認識するようになれば、物欲を満たす為に全てだと考える価値観の人たちを本来の生の目的に導くことができます。それにより、サタンの主管下で、争いを繰り返す地上地獄を解放し、神様を喜ばせることができる。

【結論】

人間が死の恐怖から解放されないのは、神様との関係性が切れてしまい、死後に迎える神様の愛の世界である霊界に対し、感覚を育てることができず、無知による恐怖から来るのである。

地上で霊界を感じる為には、神様の真の愛を地上で実体化することにより、霊界を感じることができるようになる。地上生活は霊界での生活である霊生を意識し、生活できるようになる。地上生活で、神様の真の愛をどれだけ実現したのかにより、霊界での生活する場所と水準が決まる。

地上は、サタンの主管下で、争いに明け暮れた歴史を繰り返して来た。地上には、サタンが蔓延っており、神様が安息されることができない。また、歴史上も争いを繰り返し、怨讐を増やして来た。このような、血統的に受け継いで来たサタンとの因縁を絶ち、神様との因縁を結ぶ為には、地上において、神様の真の愛を実践し、実体化するしかない。

地上において、神様の真の愛の実体になる為には、地上にあるサタンの主管下にある地上地獄を無くす為に貢献する必要がある。例えば、過去の争いにより、怨讐関係になってしまった、個人や家庭や国を真の愛により、解放して行くのである。具体的には、韓国と日本は、戦争により怨讐関係になったが、お互いが力を合わせ、世界平和の為に貢献するのであれば、怨讐ではなく、神様を中心とした兄弟姉妹の心情を構築することができる。

地上生活が、霊生のための準備期間であることを知れば、物欲を満たす為に争うことはなくなり、地上地獄を解放し、地上天国を実現する為に努力するようになる。このように地上天国を実現する為に貢献した人が行く世界が天上天国であり、神様の真の愛の中で、永遠な幸せを感じながら生活することができる。

神様が悲しまれる地上地獄をなくし、神様が喜ばれる地上天国を実現する為に貢献することにより、神様の代わりに神様の愛を実現する人格者となり、神様の喜びの対象となる。

神様の真の愛の中で生活する人は、霊的な死を克服し、肉的な死の恐怖から解放される。また、地上において、霊生を意識しながら、生活することで、地上・天上地獄を地上・天上天国に変える為に貢献するようになり、神様を喜ばせることができる人格者になることができるように願う限りである。

コンテンツを理解したからと言って、霊界の実体と地上生活できる訳ではありません。「霊界と地上界」と言う問いに対し、答えるを見つける為のアクションステップを下記を参考に考えてみてください。

霊界の実体と地上生活の為のアクションステップ

恨みの鎖

皆さんの生活は、生命の危険を感じるような事件や事故に巻き込まれることがない平和な生活を送っていると思います。

しかし、皆さんのおじいさんやおばあさんの時代には、戦争していました。皆さんのおじいさんやおばあさんの時代でも、本人の意思とは関係なく、国によって駆り出され、戦争に送り出されていました。

皆さんは、戦争というのは、ゲームや歴史の中のできごとで、自分とは、関係ないと考えている人が多いと思います。

何故、今日、戦争の話をするのかというと、戦争や争いによって生まれた憎しみによって、人類は、恨みの鎖に囚われていることを知らなければいけないと考えたからです。

日本が最後に戦争したのは、第二次世界大戦です。以前にも、お話したと思いますが、戦争による犠牲者は、何人ぐらいだと思いますか。

10万人、100万人、300万人、1000万人。

答えは、300万人です。その中で、民間人は、80万人と言われています。

日本と全面的に戦争したアメリカの死者は、30万人です。

更に、アジアで、戦争による被害者は、何人ぐらいだと、思いますか?

300万人、1000万人、2000万人、5000万人

答えは、2000万人です。更に、全体では、5000万人と言われています。

戦争には、亡くなられた被害者だけでなく、その家族にも、犠牲が出でいます。何故、日本が平和を願う国になったのでしょうか?それは、戦争により、加害者であり、犠牲者でもあるからです。

そして、今はどうでしょうか?日本では、戦争によう被害者は、滅多に出ていませんが、世界では、内戦や飢餓、災害や病気によって、どれだけの人が犠牲になっているでしょうか?

シリアの内戦で、犠牲になった方は、30万人を超えています。民間人の犠牲も10万人以上になります。

日本が安全だから、平和だから、それで良いのでしょうか?今の時代はクローバールな時代となり、一つの国により、課題を完結する時代は過ぎました。

今、我々がやらなければならないことは、過去の憎しみの鎖を解くために、世界平和という人類の共通の願いである課題に対して、解決することを努力する人にならなければなりません。

平和を愛する世界人として、人生を生きられた文鮮明先生のように我々が生きたいと思えますか?皆さんは文鮮明先生について、知識では、理解しようとしているかも知れません。しかし、文鮮明先生の心情は理解できているのでしょうか?

心情を理解すためには、文鮮明先生と同じ生き方してみてください。一般的に見たら、馬鹿みたいに見えるかも知れません。意味のない自己犠牲を願う訳ではありません。

過去の過ちを反省し、明るい未来を作るために努力する。大変だと思います。ただ、そういう生き方をした時に、人類の過ちに真っ向から立ち向かって、本気で世界の平和のために生きた文鮮明先生の心情が理解できるようになります。

僕も、皆さんの前で語るからには、責任が発生します。有言実行、言ったからには、できるまでやる決意を持ってここで公開します。

皆さん、一緒に憎しみの鎖を解くための努力しましょう。

神様に出会える方法

皆さんは、神様と出会ったことがある人はいますか?

出会ったことがある人は、どうやって神様に出会いましたか?

皆さんは、神様に出会ったことがない人が沢山いると思います。それを具体的に説明するのは難しいと思います。

皆さんに質問があります。

神様にどのように出会えるのかわかりますか?

道端で当然出会いますか?

食事していたら出会いますか?

神様はどこにいますか?

文鮮明先生の語られた話には、色々と書いてあるとおもいますが、本当に体験したことがある人は少ないと思います。

神と出会う方法を

何故、どこで、いつ、誰が、どのように、どうやってについて、一つ一つ、説明させて頂きます。

問、何故でしょうか?

答、探し求めたからです。

聖書には、求めた人に与えられると書いてあります。

もし、探し求めたのに出会えないのであれば、出会えない理由は、求め方が違うかも知れません。脅迫や追求してはいけません。自分の一番大切な人に語りかけるような気持ちで求めてください。そうすれば、答えてくれます。

問、どこでしょうか?

答、どこにでもです。

世界中のどこにでも、神様はいらっしゃいます。私たちは、神様の中に生きていると言っても過言ではありません。

特に一番、身近な場所は、どこでしょうか?自分自身の中、特に、心の中にある神様は出会えましたか?それは、皆さんに語りかけている良心の声、その声が神の声です。

問、いつでしょうか?

答、いつでもです。

24時間、365日、一生涯、出会いたいと思えば、いつでも出会えます。寝る時、起きる時に祈って見てください。問いかけたら答えてくれます。

問、誰がでしょうか?

答、誰でもです。

宗教人だけ、神様に出会えるのではありません。誰にでも、神様は、平等に働きかけます。働きかけた神様に応えることができる人であれば、出会うことができます。重要なのは、会いに来てくれるのを待っているのではなく、自ら働きかけてください。

問、どのようにでしょうか?

答、空気を吸うぐらいに当たり前の感覚。

祈れば、出会えますか?正直なところは、半分は出会えます。自分中心な祈りしている人には、神様は相対しません。世界のために祈りを捧げる人がいれば、神は出会いたがるでしょう。空気を吸うぐらいに当たり前のように神様に出会えるようになります。

問、どうやってでしょうか?

答、神様とは信仰で出会うのではありません。愛で出会えます。

神様が皆さんを愛している、そして、皆さんが神様を愛してこそ、始めて神と出会うことができます。

神様が出会いたがる人になってください。神様だって、疲れます。皆さんも経験したことがあると思います。愛を投入したのに帰ってこなかった時の虚しさは辛いと思います。

皆さんは、神様を慰めたことはありますか。神様に願うのではなく、慰めてください。神様と愛で出会うことができれば、どんなに辛いことがあっても乗り越えることができます。

ここで、皆さんに宿題を出したいと思います。ご両親から神様にどうやって出会ったのか聞いて見てください。

皆さんは、まだ、神様に出会ったことがない人が沢山いると思うので、間接的で良いので、神様に出会ったことがあるご両親から聞いてみてください。

来月は、家庭の中で、神様に出会う方法をお伝えします。別に僕の家庭が神様に出会った訳ではなく、人類一家族の中にいる神様と出会う方法です。