心と体の統一のための真の愛の実践する為のアクションステップ

心と体の統一のための真の愛の実践することについて、コンテンツをお伝えしましたが、コンテンツを理解したからと言って、心と体の統一のための真の愛の実践できる訳ではありません。

「心と体の統一」と言う問いに対し、答えるを見つける為のアクションステップを考えてみてください。

【アクションステップの例】

質問:心の状態を確認しよう。

評価:

1.心は認識できますか。

2.心と向き合っていますか。

3.心の声を聞いていますか。

4.どれぐらい心と会話していますか。

5.心は幸せですか。

質問:体の状態を確認しよう。

評価:

1.体は認識できますか。

2.体と向き合っていますか。

3.体の声を聞いていますか。

4.どれぐらい体と会話していますか。

5.体は幸せですか。

質問:心と体の状態を確認しよう。

評価:

1.心は、体を愛していますか。

2.体は、心を愛していますか。

3.心と体の間には、神様の愛がありますか。

4.神様の真の愛で誰かを愛していますか。

5.愛された対象は、貴方を通し、神様の愛を感じていますか。

三つの質問の項目全部に答えられるようにしてみてください。

心と体を一つにする方法は、同じ目的と方向性が必要です。つまり、神様の真の愛を実現すると言う共通の目的を持つことにより、一つとなることができます。

心と体が一つになっていない限り、神様の相対圏に入ることはできません。今まで、神様に出会ったとか、神様を感じたことがあると言う人は多くいると思いますが、それは、神様と言うよりは、霊的な存在に出会っただけであり、神様の実体とは程遠いです。

神様を信じたからと言って、神様に出会うことはできません。神様と出会う方法は、神様と同じ愛の実体になる必要があります。心と体が神様の真の愛の実体になることにより、一体化することにより、神様の愛の相対圏に立つことができるようになり、神様の心情に触れることができます。

何が、重要なのかと言えば、貴方が人生の中で、どれだけ、神様を愛して、慰労してきたのか。神様が堕落により人類を失うことにより、悲しまれ、苦しまれ、孤独に向き合ってきた。そのような神様の心情に触れ、神様の悲しみや苦しみや孤独を慰労してあげているのか。

心と体が一つになる方法は、神様の愛の対象となるしかありません。神様は、人類を愛したくても、人類に条件がなくて、愛することができなかったのにも関わらず、ずっと、一人で愛してこられた。このような神様の心情に触れることができれば、どんなに過酷な環境で、障害が大きくても乗り越えることができるでしょう。

貴方が貴方自身を愛するよりも神様を愛し、神様が愛そうとする人を貴方以上に愛することができるようになれば、全てを犠牲にしてでも人類を愛してこられた神様の心情に触れることができると思います。神様の心情に触れ、神様を慰労して差し上げることができるように願う限りです。

コンテンツを見ていられない方は、下記のURLから進んでください。

心と体の統一のための真の愛の実践

神様と人間との関係性の構築の為のアクションステップ

神様との関係性を構築することについて、コンテンツをお伝えしましたが、コンテンツを理解したからと言って、神様との関係性を構築できる訳ではありません。

「神様とは」と言う問いに対し、答えるを見つける為のアクションステップを考えてみてください。

質問:貴方にとって、神様とは誰ですか。

1.神様と出会いたいですか。

2.神様を愛したいですか。

3.神様を感じたいですか。

4.神様を喜ばせたいですか。

質問:神様にとって貴方は誰ですか

1.貴方の価値は何ですか。

2.貴方は幸せですか。

3.誰のために存在しますか。

4.誰を幸せにしたいと思いますか。

5.神様の幸せは、貴方の幸せですか。

質問:神様と貴方は、どのような関係性ですか。

1.神様から見て貴方は誰ですか。

2.貴方から見て神様は誰ですか。

3.神様は、貴方に何を望んでいますか。

4.貴方は、神様に何を望んでいますか。

5.神様と貴方の願いは、一致していますか。

三つの質問の項目全部に答えられるようにしてみてください。

神様は、どんな宗教を持っているのかで出会えるか、出会えないかが、決まるのではありません。

神様を信じているのかどうかは、神様や霊界にとっては、あまり、重要ではありません。

何が、重要なのかと言えば、貴方が人生の中で、どれだけ、神様を愛してきたのか、そして、どれだけ神様に愛されているのかを感じているのか。最後に、神様の代わりに神様の愛で人類をどれだけ愛しているのか。

神様との関係性を構築する基準は、信仰でも、献金の額でもありません。神様との関係性を構築できる要素は、愛であり、人生は、神様が人類に注がれている真の愛を神様の代わりにどれだけ実現したのかしか、評価されません。

貴方の人生の中で、神様が一番重要であり、神様を愛し、神様に愛され、神様の愛で人類を愛することができるようになることを願う限りです。

コンテンツを見ていられない方は、下記のURLから進んでください。

神様と人間との関係性の構築

注目

霊界と地上の共同作戦

【疑問提起】

今、世界中で起きている難問題は、地上だけでなく、同じように霊界でも起きている。何故かと言えば、地上の問題は、先祖の罪が原因であり、罪が精算されていないからである。つまり、先祖達の誤りが霊界で精算されない限り、地上の難問題は解決しない。それならば、どのようにしたら霊界の課題を解決することができるか。それは、地上において、霊界の課題解決の為に努力し、地上で解決することにより、霊界の課題を解決することができる。

人類歴史は、人間始祖の堕落により、サタンの主管下に落ち、神様や霊界を認識できなくなってしまった。神様と霊界が認識できず、霊的に生きることが難しくなってしまった。神様と霊界を認識できない人類は、サタンの主管下で、罪を繁殖し、怨讐関係を築いてしまった。結果的に、神様が干渉できない文化や社会を築いた。この問題は、一人の人間の努力や力ではどうすることもできない。長きに渡り人類を主管してきたサタンに対し、人類は、どのように向き合い立ち向かうことができるのであろうか。

サタンに立ち向かう為には、サタンに対抗することができる霊的な力が必要である。しかし、霊的な力があったとしても、その力がサタンの力よりも劣っていたら、サタンに敗北してしまう。霊的にサタンに打ち勝つことができるのは、サタンがサタンになったのか、そして、サタンの本来の目的は何であり、サタンが本来の姿を認識する必要がある。また、サタンがサタンとなった理由は、自己を中心とした偽りの愛により、被造物としての自己の立場を離れ、過分なる欲望を満たそうした結果なので、真の愛を実体化した真なる主人の立場に立った人間が、真の愛により、堕落した天使長を主管することで、本来の天使の立場を復帰することができるのである。

堕落する前のサタンは、天使長の立場にあり、神様が人間を創造する際には、神様の僕として、貢献し、神様の創造目的を理解することができる立場にあった。人間の創造が完了し、人間が自らの成長期間を全うし、完成した後は、人間に侍るべきであった。しかし、サタンは、創造主である神様の願いを理解することができず、また、本来は、侍るべき存在であった人間を騙し、自己を中心とした偽りの愛により、過分なる欲望により、堕落した。

人間は、堕落により、堕落した天使長の属性を引き継いだ。人間が神様の基に帰れないようになったのは、堕落した天使長の属性である堕落性がある為である。人間は、この堕落性と戦い、勝利し、克服させることで、初めて神様の前に出ることができるのである。また、堕落した天使であるサタンは、常に、人間が神様の前に出る事を防ぎ、邪魔して来た。人間は、このサタンと戦い、勝利し、克服させる事で、被造物に対し、本来の立場を取り戻すことができるのである。

堕落性は、どのようにしたら克服することができるのであろうか。それは、サタンの属性により発生した罪の歴史を精算するしか無いのであある。それは、人類が、自己を中心とした偽りの愛により、自らの私欲の為に、争い、奪い合って来た歴史から、神様を中心とした真の愛により、相手の為に生き、与え、分かち合うことができるようにならないといけないのである。それによりサタンとは関係の無い事を歴史を作り、神様が住みたいと望まれる世界を築くことができるようになる。

サタンは、どのようにしたら克服することができるのであろうか。それは、サタンが主管して来た被造物を本来の主人のである神様に変えることにより、克服することができる。それは、人類がサタンの偽りの愛の主管下で、神様とは関係のない歴史を築いて来たことから、神様の真の愛の主管下で、神様の真の愛の主管により、天使を含む、被造物を愛することにより、被造物の主人の立場を復帰するのである。サタンがサタンになった理由は、愛だったので、その偽りの愛を超える真の愛の実体にならない限り、サタンは屈服するはずが無い。

サタンも堕落性も、地上のみならず、霊界においても人類を主管して来た。また、人類は、過去の多くの罪により、サタンの主管され、罪を拡大させて来た。この罪の歴史を精算し、克服する為には、人類は、地上と霊界を本来の主人である神様を中心とした世界に変える為に貢献しない限り、サタンが主管して来た罪の歴史から解放されないのである。また、サタンが主管して来た歴史を精算し、克服する為には、地上と霊界を本来の神様を主人として、天使を主管することにより、人間が被造物に対し、主人の立場を復帰し、全ての被造物を創造目的に沿って主管することにより、神様が喜ばれる世界を復帰することが可能となる。

【目的】

神様の真の愛を中心として、神様を

主人として侍り、神様の創造性を相続し、神様の真の愛で、被造物を愛することにより、被造物に対し、主人の立場を復帰した真なる人格者となる。

【目標】

地上と霊界において、罪の歴史から真の愛の歴史に変え、サタンの主管から、真の愛で、サタンを主管することで、神様の真の愛が実現した世界を取り戻す。

【戦略】

人類始祖の堕落により、人間は、サタンの主管下で、罪と憎しみの歴史を重ねて来た。人類歴史は、神様と関係のない歴史であり、神様は、サタンの歴史の中に、神様側の中心人物を立てて、サタンとの戦い、勝利を重ねて来た。そのように神様が選ばれる中心人物とは、どのような人なのか。それは、罪と悪に染まってた歴史を精算し、歴史を神様の願われる方向性に導く事ができる人である。

中心人物は、サタンの偽りの愛を中心とした、人を恨んだり、妬んだり、傷つけるような行動せず、常に、神様の代わりに愛そうと努力する人である。また、自らを攻撃し、傷つけようとする人を許し、愛し、団結することができる人でもある。つまり、自らの性格や感情にある堕落性を理解し、主管されるのではなく、神様を中心とした愛により、葛藤や因縁を克服することができる。また、過去に恨み合った関係性があったとしても、恨みにより、憎しみを増幅させるのではなく、神様が人類を愛したいと言う、同じ、共通の目的を基に過去を超え、未来を作ることができるようになる。

【戦術】

何故、霊界と地上が共同で立ち向かわなければならないのかと言えば、サタンも堕落性も地上と霊界に同じく存在するからである。つまり、共通の敵と戦う為に力を合わせる必要があるという意味である。霊界は、過去の世界で、罪と悪により主管された堕落人間により作られた歴史により、天上地獄のようになっている。また、地上は、過去の恨みの歴史を引き継いでおり、貧富の格差や環境破壊など、地上地獄と化してしまっている。

地上と霊界の地獄を解放する為には、サタンと堕落性と戦い、克服することで、サタンを中心として作られた世界を神様を中心とした世界に変えていくのである。それにより、堕落により、サタンが偽りの主人として主管した地上と霊界を本来の主人である神様の基に返すことができる。地上と霊界をサタンの手から、神様の基に変える為に貢献した人格者は、神様の願いを叶え、神様の代わりに被造物を主管できる。地上と霊界からサタンと堕落性がなくなれば、これ以上、神様を悲しまれる対象がなくなることにより、神様が喜ばれる世界が実現するのである。

【現状】

地上と霊界の人間は、サタンの主管下にあり、サタンを主人のように崇めて生活している。それでは、サタンは、人間をどのように主管しているのであろうか、それは、堕落により、サタンの属性を引き継いだ自己中心とした偽りの愛を中心に生きるという堕落性を用いる。このように地上と霊界には、神様よりもサタンに似た堕落人間位より、罪と悪の歴史が繰り返され、サタンが望んだように恨みの歴史を構築した。

勿論、神様もサタンの攻撃から人類を守る為、多くの中心人物を送り、導いて来られたが、神様よりもサタンの勢力が強く、神様は、人類を導くのに苦労されてこられた。このような神様の苦労を人類が知るのであれば、神様が願われる世界を実現する為に努力するべきである。どのようしたら、神様の願われる世界が実現するのであろうか。

【課題】

先ず、最初に復帰しなければならないのが、人間始祖の堕落により失われた神様との関係性である。堕落により、神様の創造目的とは、関係のない行動した人間は、神様とは縁が切れてしまい。心情的な因縁を結べなくなってしまった。本来、人間と神様が結ぶべき心情的な因縁とは何であろうか。それは、親子の心情である。神様は、原理原則で、人間を創造されたが、原理原則よりも自由意思を持った愛を中心に人間を創造された。なので、人間は、原理よりも強力な偽り愛の力によれば、堕落する可能性があったのである。堕落を復帰する為の目的や力も神様の真の愛であり、神様の真の愛により、人間は、神様と親子の心情を結ぶ事ができる。

次に、人間が堕落により失ったのは、被造物に対する主管性を失ってしまった。堕落により、神様の子女の立場から、自ら落ちてしまってた人間は、被造物に対し、神様の愛で愛せる立場を失い。被造物も本来の主人を失い、彷徨い続けているのである。地上に主人がいないと万物が嘆息していると言うのは、これを意味しているのである。本来の被造物と人間との関係性は、どのようなものだったのだろうか。それは、正に、心と体の関係性と同じで、被造物が自分の体のように感じ、生活するようになる。つまり、歴史上の罪の歴史についても、自分の罪のように自覚し、罪を精算する為に努力するのである。地上と霊界において、全ての被造物が神様の愛の主管下に戻るまで、歴史を精算し、復帰する為に努力するのである。

【改善】

神様との関係性を改善する為には、人間始祖の堕落により、失った関係性から、神様を中心とした新しい関係性を構築する必要がある。つまり、堕落により発生した人類歴史でなく、新しく神様を中心とした人類歴史を作る為に貢献するのである。また、新しい神様を中心とした歴史は、地上だけでなく、霊界においても実現していくのである。その歴史は、神様を人類の親として迎え、人類は、神様の子女として、被造物を神様の愛で主管し、被造物を神様の創造理想で主管する事ができなくてはならない。

しかし、これを実現する為には、多くのサタンと堕落性が許さないだろう。それを阻止する為に攻撃して来るに違いない。その攻撃に対抗する為の力は、真の愛により、サタンと堕落性を許し、愛し、団結するしかない。サタンは、自分が偽りの主人である事を認めようとせず、人間を罪によって主管しようとする。しかし、人間がサタンや堕落性の声に応えるのではなく、心情と良心の声を聞いて、神様の願いを理解し、応える事で、サタンと堕落性を克服し、神様の立場で、愛する事ができるようになる。

【効果】

地上と霊界から偽りの主人であるサタンと堕落性を追い出し、代わりに真なる主人を迎えることにより、神様を中心とした世界が実現するのである。しかし、サタンと堕落性は、簡単には、人類を諦めない。どうすれば、打ち勝つ事ができるのであろうか、それは、地上と霊界が分かれてしまったもう一度、つなげる為に貢献しなければならない。地上と霊界は、協力し合いながら共通の敵であるサタンと堕落性を克服する為に努力するのである。

どうすれば、地上と霊界が協力する事ができるのであろうか。それは、地上は、霊界の為に、霊界は、地上の為に貢献するのである。具体的に言えば、先祖は後孫の為に、後孫は、先祖の為に貢献し、お互いが罪と悪の歴史と戦い、精算する為に努力するのである。実は、地上と霊界との関係性も良い関係とは言えない。先祖の罪により、後孫が苦しむこともあり得るだろうし、後孫の罪により、先祖の功績が奪われることも十分あり得る。なので、人類歴史を精算するという共通の目的を基に霊界と地上が一つとなり、神様と全人類、被造物の為に、サタンと堕落性と戦い、克服することにより、勝利する事ができるのである。

【結果】

人類歴史は、人間始祖の堕落により、偽りの主人であるサタンの僕の立場に落ちてしまい、堕落性により、罪と悪により主管されて来た。堕落により失ってしまった主管性を取り戻す為には、堕落と逆の経路を辿り、失ったものを取り戻す為に努力するしかない。堕落により失ったものは、神様の心情を知る事ができる神様の子としての立場である。もう一つは、天使長も含め、全ての被造物に対し、神様の子として、神様の真の愛を持って主管する主管位の立場である。

【結論】

どのようにして、失ったものを取り返す事ができるのであろうか、それは、偽りの主人であるサタンの偽りの愛により、罪と悪に染まった人類歴史を精算するしかないのである。人類の罪と悪は、地上と天上に築かれている地獄として具現化されている。つまり、地上と天上に築かれた地獄を精算し、創造本然の霊界と地上を創造する事が、神様と失われた親子の関係を取り戻す方法である。

地獄を精算する為のには、地獄を作った原因であるサタンと堕落性と戦い、勝利するしかない。しかし、サタンと堕落性は、霊的な存在であるので、簡単に勝利することはできない。霊的な存在と戦う事ができるのは、霊界であるが、霊界は地上の共助がない限りサタンと戦うことはできない。ここで重要なのが、サタンと堕落性と言うのは、霊界と地上界の共通の敵であり、克服する為の対象なのである。つまり、霊界は、過去のサタンと堕落性と戦い、地上は、現在のサタンと堕落性と戦い、克服することにより、勝利する事ができるのである。

つまり、サタンと堕落性を克服する為には、過去と現在が一つの目的の為に一つとなり、克服することができなくてはならない。つまり、過去は、先祖などの既に霊界に行かれた愛の繋がりがある方々による共助が力となり、現在は、後孫等、愛により繋がある人々の共助が力になります。過去にも現在にも、憎しみ合い、恨み合っている人々がいたとしても、共通の敵であるサタンと堕落性を克服する為には、一緒に力を合わせ合うことにより、お互いに支え合って戦うことができるようになります。

目に見えない霊界がどのようにして地上界と一緒に共同作戦を展開するのかと言えば、共通の敵であるサタンと堕落性と戦い、克服し、勝利する為に力を合わせることができます。人類歴史は、サタンに主管された歴史であった。しかし、霊界と地上界が力を合わせ戦うことができるのであれば、サタンとの戦いに勝利し、堕落により失った主管性を取り戻すことができる。人類が偽りの主人であるサタンの主管から、真なる主人である神様の主管に帰ることにより、神様が直接主管される世界がなされ、神様と人類と被造物が喜ぶことができるようになる。

注目

霊人体の成長の為の真の愛の実践

【霊人体が成長するために必要な要素】

霊界で生活する体のことを霊人体と称する。人間の肉眼では、霊人体を認識できない。霊人体を見るためには、霊的な視野である霊眼で見るしかない。霊眼を持っていない人は、霊界を認識することはできない。何故、人間は、肉体の感覚だけが研ぎ澄まされ、霊的な感覚が殆どないのであろうか。

それは、人間が堕落により、神様と因縁が切れてしまったが為に、神様の愛の世界である霊界について、感知できる能力を成長させる機会を失ってしまった。なので、堕落した人間は、霊界を認識したり、神様を認識することはできないのである。

堕落により、霊的な感覚を失ってしまったのであれば、どうすれば、堕落以前の状態まで、戻し、失った感覚を取り戻す事ができるようになるだろう。また、どのようにしたら、人間は、堕落する以前の神様と共に生き、神様と意思疎通ができた状態に戻ることができるのであろうか。

それは、人間の努力だけでは、絶対に不可能なのである。何故かと言えば、堕落は、人類始祖が、神様を捨て、神様を裏切り、神様の願いと反対の生き方した結果であり、それにより、多くの堕落性と罪を量産して来た。このように神様と因縁を切ってきた歴史を持った人間が努力したからと言って、サタンが邪魔するだろう。結果的には、神様に届くことは難しい。

どのようにしたら、堕落以前の状態に戻すことができるのであろうか、それは、神様との関係性を堕落以前の関係性に取り戻す必要がある。それは、神様の願いを理解し、神様を信頼し、神様の為に生きることができる人でない限り、神様が期待することはないからである。人間が神様からの信頼や期待を裏切ったので、もう一度、信頼や期待を取り戻す為には、失ったものと同等の価値のものを提供しない限り不可能なのである。

聖書には、人間始祖は、「とって食べれば死ぬであろうと」言われた「善悪の実」をとって死んだとされている。つまり、堕落とは霊的・肉的な死を意味する。これを取り戻す為には、霊的・肉的な死を超えない限り、堕落により失った生を取り返すことができない。聖書には、「生きんとするものは死に、死なんとするものは生きる」と書いてあるのは、堕落による死を超えない限り、本来の神様の元で生きることは不可能であると言う意味である。つまり、簡単に言えば、死を覚悟しない限り、神様から失った信頼や期待を取り戻すことはできない。

もう一つ、重要なのは、人間始祖の堕落後、人類を見てこられた神様はどのようなお気持ちであるのであろうか。神様は、人類歴史の中で、ひたすら帰ってくるのを待ち望んで来られた。孤独で、苦しみ、悲しみ、辛い思いをされて来た。誰一人として、神様の苦しみを理解し、慰労して差し上げた人間がいただろうか。堕落以前の人間と神様の関係を再構築すると言う意味は、堕落により失った人類歴史そのものをやり直すことと同じ意味なのである。人類の罪を一身に背負い、神様の願いを一身に背負い、神様を喜ばせようと思いを一身に背負うことができる人しか、失ったもの以上のものを神様に返すことはできないのである。

このように、堕落を超え、霊的に生きると言うことは、人間が望むから実現するのではなく、神様が人類歴史上で、待ち望んで来られたことであり、何よりも、人間の努力とは、比べ物にならない、神様が人類を愛した結果であると言うことを忘れてはいけない。

【目的】

神様の真の愛を中心として、霊生を意識した地上生活することにより、霊人体が成長した真なる人格者となる。

【目標】

地上において、神様の愛を実現させることで、霊人体を成長させ、堕落により失った霊的な生を取り戻す

【戦略】

霊的な世界に対する無知を克服し、神様の愛を中心とした真の愛の実践により、霊人体を成長させることにより、堕落による霊的な死を超え、霊的に生きる。

また、霊人体が成長することによりサタンから干渉され難くなる。サタンは、堕落人間を通し、罪を犯させ堕落性を拡大していこうとするのでより神様の側に近い人間は、嫌うようになる。サタンから嫌われることをすることにより、より神様に近づくことができます。

【戦術】

人間は、堕落により、霊的に死んでしまった。何故かと言えば、霊人体の成長に必要な要素の一つである。神様の心である生心からのエネルギーを受けれる相対に立つことができなくなったからである。これにより霊人体が成長しない人間は、霊界に行っても、神様とは、相対的に遠く神様の真の愛が少ししか届かない、暗くて、寒い世界で、永遠に生きるようになる。

どうやったら、霊人体を成長させることができるのであろうか、それは、地上で、神様の真の愛を実践し、実体化することにより、神様と相対的な関係性を構築し、神様と心情的に繋がることができる。神様と心情的に繋がることで、神様の心である生心から、エネルギーを貰い、地上からの真の愛の実践によるエネルギーと一緒に霊人体が成長するようになる。

【現状】

本来の人間は、神様と意思疎通ができ、神様と心情的に繋がることができる存在であった。しかし、堕落することにより、霊的には、霊人体が成長できず、神様や霊界を認識することができなくなってしまった。また、神様が何を願われているのか分からなくなってしまったので、地上で、生きている目的を見失ってしまった。殆どの人が、死ぬために生きているような人生を送っている。

人類は、生きる目的も、死後の世界や神様の事が分からなくなってしまった。それにより、肉的な生に執着し、肉的な欲望を満たすために生きるようになってしまった。このような人間は、神様とは関係のない、欲望のままに生きるサタンと似たようなものであり、神様が干渉したいと思える対象にはならない。人間を肉的な欲望や生の執着から解放するためには、神様を認識する事ができるようになるための、霊人体を成長させ、霊的な五感を獲得するしかない。

目に見えない霊的な世界を理解するのは、宗教を信じるべきだと思う人が多く、信仰で認識するものであると考える人が多くいると思いますが、信仰では、目に見えない世界を正確に認識することは難しいです。何故かと言えば、信仰よりも確実に霊界を認識する方法は、愛により可能だからです。愛の成長こそ、目に見えない霊的な世界を認識させ、霊人体を成長させ、霊的な五感を獲得する方法になります。

【課題】

それでは、愛により、霊界が認識できると言うところまでは、分かるとしても、何故、人間は、霊界が分からないのでしょうか。それは、人間は堕落によりサタンの属性を引き継ぎ、自己中心的な偽りの愛で生きているからです。先ずは、偽りの愛から、神様を中心とした真の愛を中心に生きる必要があります。偽りの愛と、真の愛の違いは、どこにあるのでしょうか。それは、目的が大きく違います。偽りの愛は、自分を中心に相手から奪ったり、見返りを求める愛になります。真の愛とは、相手を中心に相手を思ったり、見返りを求めない愛です。

真の愛は、失うように見えますが、与えた後に、神様から愛が帰って来るので、枯渇することはありません。自分を中心とした愛は、直ぐに、枯渇してしまいます。愛する対象から、愛が帰ってこなくても、更に、愛する愛であり、失う事を恐れない無条件的な愛になります。例えば、母親が子供に乳を飲ませるのは、見返りを求めるのではなく、ただ、そこに子がいるから、神様の代わりに愛を実践するのです。

【改善】

地上において、真の愛の実態になれば、自然と神様の真の愛に触れ、神様の真の愛の世界である霊界について、認識するようになります。霊界を知り、神様の心情に触れるようになれば、堕落した人間を見て、神様の心情がどのように感じているのか、知るようになります。神様が堕落した人間を見て、悲しまれている事を知れば、神様の悲しみの対象である地上地獄をなくすために貢献するようになります。地上地獄とは、自己中心的な偽りの愛を中心としたお互いに奪い合い、傷付け合い、争っている世界になります。宗教は、本来は、神様の心情を理解し、地上から地獄を撲滅する為に貢献しなくてはならないのです。しかし、悲しいことに、本来の目的を忘れ、逆に争いの火種になってしまっているいます。この宗教の争いも神様を中心とした真の愛を持って、過去の争いを超え、愛し合う事で克服する事が可能になります。

【効果】

霊人体を成長させるためには、サタンの偽りの愛との関係を切る必要があります。神様を中心として、相手の為に愛する事で、サタンが干渉する事ができない真の愛を実践する事ができます。真の愛を実践することにより、真の愛の世界である霊界を知り、真の愛の実体である神様に出会う事ができます。神様と心情的に出会う事ができる事で、堕落によって失われた霊人体を成長する機会を得る事ができ、霊人体が成長する事で、霊界での生活が上手くいきます。

また、霊人体が成長する事で、霊的な存在であるサタンに対し、戦う事ができる力を得る事ができます。サタンを説得したり、サタンに対応する力を得ることにより、サタンを中心として、偽りの愛の世界である地獄を克服する事ができます。霊人体が成長し、神様の心情を理解できるようになれば、神様が悲しまれる対象である地獄のなくす為に努力するのである。地獄をなくすことにより、自然と神様が望まれている理想世界が実現し、理想世界で成長し、霊界に行けば、自然と天上天国で住む事ができるようになる。

【結果】

堕落した天使長であるサタンの偽りの愛により堕落した人間は、神様の愛の世界である霊界で生きる体である霊人体の成長が止まり、死んでいるような状況になってしまった。霊人体が成長していないので、霊的な感性を持っていない人は、地上において、霊界を認識できず、神様は勿論、サタンや自らの霊人体も認識する事ができないのである。人間は、神様の元に帰る為には、霊人体を成長させ、霊的な死をもたらしたサタンとの偽りの愛と戦い、克服し、神様との関係性を再構築する必要がある。

神様との関係性を構築する為には、堕落により失った神様との関係性を構築する必要がある。それは、人間が堕落により、神様の元を離れ、サタンと関係性を結ぶことにより、神様の心情とは、関係の無い生活してきた。神様を悲しませてきた歴史を精算し、神様が喜ばれる歴史を作ることにより、神様の心情を復帰することができる。

【結論】

創造本然の神様と人間は、常に、意思疎通することが関係性であった。しかし、その関係性が堕落した天使長との偽りの愛の関係性を結ぶことにより、失ってしまった。何故、関係性が失ってしまったのか、それは、神様の愛の世界である霊的な世界である霊界において生活する体である霊人体が成長するための栄養素が堕落により供給されなくなり、死んでいると同じような状況になってしまったからである。霊人体が成長できない人間は、霊的な死を迎えているような状況となり、神様と霊界、サタンと自らの霊人体を認識できず、ただ、肉的な感覚と肉的な世界に留まり過ごすようになってしまった。

人間の霊人体の死をもたらしたのは、サタンとの偽りの愛の関係性によるものなので、サタンとの偽りの愛の関係性を断ち、神様との真の愛の関係性を構築しない限り、霊人体の成長はありえない。どのようにしたら神様との真の愛の関係性を構築することができるのであろうか。それは、人間が堕落により、サタンの偽りの愛を中心とした世界を築き、神様とは、関係の無い世界を作ってしまったので、その世界を神様を中心とした世界に変えて行く必要がある。

もし、人類が神様との関係性を構築しようとしても、サタンは、それを許すことはないだろう。このようなサタンからの攻撃をどのように防ぎ、立ち向かうことができるのであろうか。それは、神様の真の愛を中心とし、神様の真の愛を実践することにより、サタンが干渉できない生活することにより、サタンと結ばれた関係性を断つことができる。サタンと関係性を断つことができれば、神様を中心とした生活ができるようになり、神様が願われている生活ができるようになる。

神様を中心とした真の愛は、見返りを求めず、愛し、愛した事を忘れ、更に、愛する愛を意味する。真の愛を実践し、真の愛の実態になる事で、神様と心情的に通じるようになり、神様の心である生心からのエネルギーをもらう事で、霊人体が成長し、霊的な感性を得ることができる。霊的な感性が成長することで、神様の真の愛の世界である霊界について、認識できるようになる。

霊界を認識できるようになる事で、霊的な世界の生である霊生を意識して生活できるようになり、地上生活の目的を霊生を意識した生活ができるようになる。地上生活の目的の一つは、神様の真の愛の実体となり、神様が相対できる人格者になることにより、神様の創造理想を完成した個人になることである。このような個人は、神様が願われている事を理解できるようになり、神様が悲しまれている地上地獄を克服する為に貢献するようになる。

殆どの人は、霊界を認識できず、地上の生だけを目的に生きている。しかし、霊界を実感し、霊的な世界で、神様の真の愛の世界で永遠な時を過ごすことが理解できれば、地上世界は、瞬間であり、永遠な時の世界である霊界での生活を基準として生きることができるようになる。地上生活の目的は、永遠なときの世界である霊界において、神様の真の愛の中で生きる為に、地上生活活でどれだけ真の愛を実践し、実体化できたかによって決まってくる事を知ることができる。なので、人間は、地上において、真の愛を実体化する為に努力するようになり、そのような真の愛の人格者が増えれば、神様が願われる地上天国を実現する為に努力するであろう

今の地上は、神様が住みたいと思われる世界とは程遠い、地上地獄である。霊人体が成長した真の愛の人格者は、神様の心情を理解できるので、神様が悲しまれる地上地獄を克服する為に努力する様になるのである。このように地上地獄は、神様の心情を理解した真の愛の人格者の真の愛の実践により、克服することが可能なのである。

地上地獄を克服し、地上を神様が住みたいと思われる世界に変えていくことに貢献した個人は、霊界に行っても、神様と心情的に近い場所で生きるようになり、永遠な世界で、神様の真の愛の中で生きることができるのである。皆さんが、生きているうちに神様の心情と出会い、神様の心情を伝えることができる真なる人格者になる事を願う限りである。

注目

サタンと堕落性に対し、戦い克服する方法

【疑問提起】

サタンが何であり、如何にして、サタンが人間を主管し、操って来たのか、サタンがどのような存在なのか分からない限り、対策を取ることはできない。サタンとは、蛇に比喩された天使長である。何故、善なる存在として創造された天使が、神様に反逆する存在になってしまったのか、それは、自己中心的な偽りの愛により、アダムとエバを騙し、アダムとエバが神様の子の立場から落とす為である。それは、天使長は、神様の僕であり、子であるアダムとエバを支援する立場であったのにも関わらず、自己の創造目的を離れ、神様の子の立場を奪おうとした過分なる欲望によってである。

アダムとエバの堕落により、人類は、神様の子としての立場を失ってしまい、偽りの主人であるサタンの僕の立場に陥ってしまった。人類は、神様の元に帰ろうとしても、人類の努力だけでは、神様の元には帰ることはできない。神様の元に帰る為には、失われた神様の息子である資格を持った人が来られ、その方の元で、サタンとの因縁を断ち切り、神様の息子としての資格を得るしかないのである。

神様の息子が誰であるのかについては、この場では、話すことは控えるとして、神様の息子の元で、堕落した子孫として生まれてきた人間は、どのようにして、サタンとの因縁を克服することができるのであろうか。

また、サタンとの因縁により発生した偽りの愛の習慣性を堕落性と称する。人間は、堕落性により、サタンの主管下から抜け出せずにいる。サタンとの因縁を克服することと同じように、堕落性を克服しない限り、人間は、神様の所有物ではなく、サタンの所有物として生きて行くしかないのである。

サタンが何であり、どのようにしてサタンと戦い、克服することができるのか、また、サタンが人間を主管する偽りの愛の習慣性である堕落性と戦い、克服することができるのかを調べてみることにする。

人間がいくら、神様の元に帰ろうと努力したとしても、サタンと堕落性が許しはしない。サタンは、自分の所有物であることを主張するだろうし、堕落性は、自己中心的な偽りの愛を捨てることを拒むだろう。何故、人類は、サタンと堕落性との戦いに勝利できないのだろうか、それは、サタンと同じ偽りの愛を中心に生きる限り、神様が干渉したいと思える対象にはならないからである。

先ずは、神様の愛の対象となる為には、サタンと戦い、克服することにより、サタンが神様から奪った所有権を取り戻す必要がある。

【目的】

神様の真の愛を中心として、創造本然の生活することにより、サタンが干渉できない人格者となる。

【目標】

サタンとの因縁と堕落性と戦い、克服することにより、堕落によりサタンが神様から奪った人間の所有権を取り返す。

【戦略】

サタンとの因縁は、自己中心的な偽りの愛により、血統的に結ばれた。なので、サタンとの偽りの愛の血統を克服する為には、神様を中心とした真の愛で、血統的に怨讐関係だった人を愛することにより、愛で怨讐を克服するしかない。

また、堕落性は、サタンが自己中心的な偽りの愛により、人類歴史の罪と習慣性を意味する。罪を償い、習慣性と戦い、克服しない限り、サタンは、堕落性を理由に人間を所有しようとする。堕落性を克服する為には、神様を中心とした真の愛の実体になることにより、サタンが干渉しないように生活するしかない。

【戦術】

サタンと堕落性と戦う方法は、サタンと堕落性をよく知ることが重要です。何故かと言えば、サタンも堕落性も見えない霊的な存在であるので、目に見えない霊的な存在を認識できる霊的な感性を育てる必要があります。

サタンは、偽りの愛を中心とした自己中心的な愛により、人類と血統的な因縁を結び、人類を所有してきました。人類は、堕落人間となり、サタンから堕落性を受け継ぎ、サタンを主人とした歴史を築いて来ました。

先ずは、サタンと堕落性と戦う為には、自分の中にあるサタン的な要素と堕落性を見極めることが重要です。サタン的な要素の代表的なのが、霊的な無知に陥っていることです。つまり、神様の創造物である人間が、神様が何故、人間を創造されたのか、創造目的が分かっていないことを意味します。この無知を克服する方法は、創造目的の通りに生きた創造本然の生活をすることで、サタンの主管下から神様の主管下に戻ることができます。堕落性の代表的なのが、サタンの偽りの愛により発生した自体自覚を意味します。自我は、自分を中心として、他人を認識します。この自我を克服する方法は、神様を中心とした創造目的を中心とした他体から自覚することにより、自分の中にある神様の愛や希望である創造目的を感じることにより、創造本然の生活することで、サタンから讒訴されなくなります。

【現状】

地上の本来の主人は、神様である。しかし、人間が堕落することにより、人間は、神様の子女の立場からサタンの僕の立ち場に落ちてしまった。地上において、サタンとの因縁を断ち切り、神様と直接、意思疎通できる人は、殆どいない。

何故かと言えば、人類は、サタンに主管されており、サタンを主人として生活している。また、サタンとは、何であるのかを理解していないので、サタンと向き合えないし、どのようにしたら、サタンの主管下から抜け出せるのか知らない。

サタンの主管から、神様の主管に移る為には、人間がサタンとの因縁を切り、神様の主管下に戻って行く必要がある。人類歴史は、サタンの主観から神様の主管へ戻る為の復帰歴史であり、神様は、より善の側が勝つように導いて来られた。今でも、サタンと神様の戦いは、継続されており、神様の願いがわからない限り、神様の側には、立つことができない。

【課題】

それでは、サタンと戦い、克服する為には、どのようにしたら良いのであろうか、それは、神様とサタンがどのような戦いを行ってきたのかを知る必要がある。サタンと神様との戦いは、実体世界の戦いを進める前に、中心人物を立てて、進められる。その中心人物は、どのように選ばれるのかと言えば、中心人物が持っている愛の程度によって、神様側に着くのか、サタン側に着くのかが決まってくる。神様側に着く人は、神様の真の愛を実践し、実体化している人であるのは、勿論、神様の願いを理解しており、また、神様と意思疎通が可能であり、神様の願いを実現する為に努力する人である。

また、サタン側の中心人物とは、サタンの偽りの愛を中心とした自己中心的な愛を持った人である。神様側の人は、このサタン側の人を神様を中心とした真の愛で愛し、サタン側の人が、神様の真の愛を実践できるように導く使命がある。サタン側の人が、神様の愛に触れることにより、自然屈服するこにより、神様の願いが実現されるのである。つまり、サタンを克服されることができるのは、真の愛を実践し、これ以上、サタンが干渉することができないようになる必要がある。多くのサタンを克服させることで、神様の中心人物となり、神様が信頼し、愛してくださる人物になれるであろう。

【改善】

サタンを克服させる為には、真の愛を実践すれば良いと言うことは分かった。しかし、サタンは、簡単には、人間の主管を放棄しない。つまり、サタンを克服させる方法は、よりサタンが嫌がる生き方をすれば良い。

サタンが嫌がる生き方とは、自らを犠牲にし、真の愛を実践する人である。例を挙げれば、母親が子供の為に、自らを犠牲にし、乳をあげるのと同じである。また、愛を受けた相手が、受けた愛を通し、神様を感じることができるような愛を意味します。愛しても、忘れ、また、愛することができ、見返りを求めない愛です。そのような愛の実体になることにより、サンタが嫌がり、干渉してこなくなります。

また、サタンの偽りの愛を中心に作られた罪の歴史を精算する為に貢献するのであれば、サタンがとても嫌がります。例えば、韓国と日本が戦争した歴史があります。普通の人であれば、恨みを持っているかと思いますが、神様の愛から見れば、愛しうべき存在であり、共に、過去を精算し、未来には、恨みのない世界を作る為に貢献するのであれば、サタンが干渉してこなくなります。

【効果】

サタンからの主管下から、神様の主管下に移る為には、サタンから神様の主管である称号を受ける必要があります。それは、怨讐を愛し、克服することができたのかどうかにあります。怨讐とは、自分を攻撃してきたり、自分を恨む存在を意味します。怨讐に対し、憎しみで、相対するのではなく、神様を中心とした真の愛で、怨讐が真の愛により満たされ、怨讐関係を克服することにより、解消されます。

怨讐を真の愛で、克服すれば、サタンは、それ以上、追求することができず、主管権を放棄します。怨讐関係の1番最初は、心と体の関係であり、心は、体の為に、体は、心のためにいきることにより解決します。いつも、心が不安であったり、体が不安であるのであれば、それは、心と体が、神様の真の愛で、一つになっていないのであり、神様の真の愛が満たされているのであれば、心と体は、希望に溢れ、幸せを感じることができます。

【結果】

地上において、サタンが干渉したがらない。真の愛の人格者になれば、神様の代わりにサタンと戦う、中心人物となります。勿論、サタンとの戦いは、地上のみではなく、霊界でも、戦いが続くので、霊界での戦いは、天上地獄が解放されるまで、サタンとの戦いは継続されます。天上には、地上で、多くの罪を犯した先祖達がおり、先祖達の罪により、地上にいる後孫達も地上地獄の中で生活しています。

地上にいる後孫達が、先祖達の罪を悔い改め、罪により発生した恨みの連鎖を断ち切るために貢献してこそ、地上がサタンの主管下から、神様が干渉したいと思える世界へと変わっていくことができます。

【結論】

地上が、神様が望んだ世界でなく、サタンが願う世界になってしまったのは、人間始祖が、神様の真の愛ではなく、サタンの偽りの愛をを選び、神様の子女の立場から堕落し、サタンの僕の立ち場に落ちてしまったからである。その為、サタンの主管下に置かれた人類は、罪を繰り返し、怨讐関係を構築した歴史を作ってきた。

また、サタンの実体に対しても無知であり、サタンが人間を主管する上で、サタンの属性を引き継いだ習慣性である堕落性についても理解していない。例え、人類が、神様の元に帰ろうとしても、サタンが主管権を主張し、また、人類もサタンの堕落性を克服していないので、神様が主管したいと思える存在にはなっていない。

サタンと戦うためには、霊的な存在であるサタンを理解し、同じく、霊的な力である愛の力でしか、立ち向かうことはできない。サタンは、自己中心的な偽りの愛により、相手よりも、自分に利益になるように願う。なので、サタンを戦う為には、神様を中心とした真の愛で、自らが犠牲になったとしても、相手のために生きる愛を実践するしかない。真の愛を実践することで、サンタが干渉したいとは思えず、サタンに神様の主管であると言う事を認めさせることができる。

サタンから神様の主管であると認めさせることができれば、神様の代わりにサタンが主管してきた罪と恨みの歴史を精算するために貢献する必要がある。サタンが人間を主管する際には、堕落により発生したサンタの属性を習慣的に受け継いだ堕落性で主管する。堕落性を脱ぐためには、神様を中心とした真の愛の実体となり、過去の恨みを愛で克服し、怨讐関係から家族のような関係になることである。そうなれば、これ以上、恨みの歴史ではなく、人類一家族になるために共に力を合わせる強力関係になることができる。

地上からサタンの主管権と、サタンの属性である堕落性を克服することができるようになれば、神様が主管したいと思える世界になることができる。神様の真の愛を実体化した人格者となれば、神様が主管したいと思える世界を実現するために努力し、地上だけでなく、天上のサタンの主管権までも、地上で解放することにより、天上でもサタンとの戦いに勝利することができる。

サタンとの戦いは、人生の目的でもあり、勝利することが、人生の目標でもあります。また、霊界に行っても、サタンとの戦いは、継続しており、霊界のサタンは、地上で勝利することで、解放することが可能なので、できる限り多くのサタンと戦い、克服することで、霊界での戦いを少なくすることができます。

サタンの主管権から、神様の主管権に人類が戻ることにより、神様が直接主管できる地上天国が実現し、その中には、サタンが干渉できる要素がないので、罪や恨みとは、関係のない世界になり、神様の喜びが溢れる世界になると思います。そのために少しでも貢献できるように願う限りです。

コンテンツを理解したからと言って、サタンと堕落性に対し、戦い克服するできる訳ではありません。「サタンと堕落性」と言う問いに対し、答えるを見つける為のアクションステップを下記を参考に考えてみてください。

サタンと堕落性に対し、戦い克服する為のアクションステップ