注目

心と体の統一のための真の愛の実践

【疑問提起】

人は、心が願う通りに体が動かなければならないとか考えながら、常に、体が願うように行動し、心が傷ついて来た。

何故、このような矛盾性が発生してしまうのか、それは、心も体も一つの目的に沿って、向き合っていないからである。更に、一つになれない理由は、心と体は、自己中心的な偽りの愛により、お互いが利用し合い傷つけ合う怨讐関係になっているからである。

一つの目的とは、神を中心とした真の愛で心と体が一つとなることを意味する。また、一つになろうとする原動力は、真の愛の力である。

それは、心と体との関係性と同じように心と霊的な世界で生きている体である霊人体とも、同じ関係性を持っている。更には、霊人体と神様の心である生心との関係性も同じである。つまり、人間と神様との間には、繋がりはあるが、正常に繋がっていない。

人類は、神様との関係性を構築しようと努力して来たが、どのようにしたら、神様との関係性を構築できるのか、方法が分からず、宗教等では、修行等を行い、体を打ち、心の声を聞こうとするが、それでは、神様の声も、心情も理解することはできない。

心と体を一つにする方法は、体と心、心と霊人体、霊人体と生心が繋がる必要がある。つまり、神様の真の愛を中心として、お互いが為に生き、合成一体化することにより、お互いが繋がり合うことにより、一つの個体のような関係性を構築することができる。

究極的には人間は、神様の心と一つとなり、神様の願いや思いを常に感じ取ることができるようになる。

このように神様の心情が常に感じ取ることができる人間は、神様が悲しまれる堕落行為をする訳がなく、神様が願われる人類一家族世界を実現する為に常に生活するようになる。

それでは、その為には、どのような生活をするべきなのか、調べてみることにする。

【目的】

神様の真の愛を中心として、心と体が一つとなり、その心と霊人体が一つとなり、霊人体と生心が一つとなり、神様の心情を実体化する人格者となる。

【目標】

体は、心のために、心は霊人体のために、霊人体は、生心の為に生きることにより、神様の心情を理解し、神様の愛を地上で実現することができる人格者となり、堕落によりサタンに奪われた神様との心情的な繋がりを復帰する。

【戦略】

人間が神様の心情を感じるようとしても、普通は、感じる事ができない。何故かと言えば、殆どの人間は、心と体の関係性が主従関係で成り立っているからである。心と体の関係性は、主従関係ではなく、愛の対象として、お互いが神様の真の愛を実現化することを目的に一つになるための愛するべき対象なのである。

つまり、心は、体のために、体は心の為に生きるべきであり、お互いが神様の前に相手を導く為に努力して支え合うことにより、神様が喜ばれる心と体になる事ができます。それは、神様の真の愛の実践により可能となります。

【戦術】

心と体が神様の真の愛により、一つとなる方法は、お互いが創造目的の為に生きる事を意味する。簡単に言えば、心は、神様の心に似るように生活する事。体は、神様の体のように生活することを意味する。

宗教人達は、よく体を打つことにより心の声を聞こうとしますが、心の本当の声は、体の苦しみを超えることにより聞こえてくるのではない。

心は、神様を愛することができないことを何よりも嘆いている。同じく、体も神様を愛することができないと嘆いている。つまり、心と体は、神様を愛すると言う共通の目的を持っており、その目的の為に、心は体のために、体は心の為に生きることで一つになれる。神様の真の愛の対象となる為にお互いが支え合うことで、自然と一つとなる。

【現状】

心と体が一つとなった人は、あまり会った事がない。何故かと言えば、神様を愛し、神様の代わりに人類を愛そうとされる人でない限り、心と体は一つにならないからです。

何故かと言えば、人間は、神様の愛を拒み続け、神様の愛も信頼も裏切り続けて来た。これだけ、裏切りを繰り返し、利用され続けて来た存在を簡単に愛することはできるか。いくら、神様が愛の方であると言っても、人類歴史は、偽りの愛により、心と体が奪い合い傷つけてあって来た。そのような関係性しか構築できていない、心と体に神様が愛したいと思える存在とは思えません。

【課題】

先ずは、神様を愛している人があまりにも少ないです。そして、愛そうと努力していても、その愛が神様の真の愛とは、程遠いので、神様が愛することは難しいです。

何故かと言えば、神様は、自己中心的な心である邪心とは、相対関係を結ばないからです。自分のために神様を利用しようとする人が、何を願っても、神様が相対しないのは、神様が相対できる条件を満たしていないからです。

心と体が一つになる為の最低条件は、心の中に自己中心的な愛の要素をなくす必要があります。神様を無条件で愛したいと心から思う必要があります。自分を愛する以上に神様を愛したいという思いのみ、神様と相対的な関係を結ぶことができる。

【改善】

どうすれば、心と体を一つにすることができるのでしょうか。それは、先ずは、心と体を創造本然の姿にすることから始める必要がある。

心の創造本然の姿とは、なんでしょうか。それは、神様が人間に対して愛される愛は、親が子供に対し、愛する親の愛であり、それに対し、子供である人間が、子女の愛で、答えているのかと言うことになる。

つまり、心で親である神様に対し、産んでくれてありがとう。創造してくれてありがとう等の愛情を返しているのかと言う意味です。そのような基本的な親子のコミュニケーションができていないのであれば、心と神様との関係性を構築することはできません。

また、体についてですが、心と同じように、心を神様と愛情で繋がるようにサポートしているのかになります。体の目的は、心を神様の前に導く為にある。なので、神様が喜ばれる心の状態を常に維持できるように努力する必要がある。つまり、心が神様を愛することができるように愛情で満たされるように支援することが大事です。具体的には、自分以外の存在を神様の愛で、神様の代わりに愛することにより心に愛のエネルギーを注入することを意味します。神様の代わりに人類を愛することにより、愛された人類が、貴方を愛で神様に導いてくれると思います。

【効果】

神様の愛を中心に心と体が一つになれば、真の愛の実体になることができ、それにより霊人体を成長させることができます。このように霊人体が成長した人は、他の霊人体を神様の前に導くことができるようになる。それにより神様から愛されることができる存在になることができる。

【結果】

心と体が一つとなり、霊人体が成長した人格者は、神様の喜びの対象となることは、勿論ですが、神様が愛したい対象である人類を神様の愛で愛する中心人物となる。

それは、悲惨な人類を見られている神様を慰労し、神様を励まし、激烈し、神様を悲しみの牢獄から解いて差し上げることができる人です。神様と心情が通じると言うのは、人類の悲惨な歴史を見てこられた親なる神様の悲痛な心情を理解し、神様の代わりに人類を愛することで、一人でも多くの人類を神様の心情に繋げることができる人を意味する。

【結論】

人間の心と体が戦う矛盾性を持っているのは、心と体が一つになる為の目的を見つけられていないからである。また、心と体がお互いが自己中心的な愛により、お互いを利用しようとするのであれば、一つになることはできない。

心と体が一つになる為には、神様の真の愛を実現すると言う共通の目的を持つ必要がある。また、お互いが共通の目的の為にお互いが支え合う真の愛の関係を構築する必要がある。

体は心の為に、心は霊人体の為に、霊人体は、神様の為に生きてこそ、神様の真の愛が、霊人体に繋がり、霊人体が心と繋がり、心が体につながることができる。それにより、神様の真の愛を感じ、真の愛により、一つの存在として認識できるようになる。

心と体を一つにする為には、人類歴史の中で、神様の心情を裏切り、心と体が怨讐関係となり、傷つけあって来た歴史を精算するしかない。また、人間を愛し、愛されることを願っておられる神様の心情が、傷つき、悲しまれたことに対し、心から慰労し、寄り添うことが必要である。

神様の心情を理解することにより、神様がどれだけ長い期間、一人で耐え、苦しみ、悲しみ、望んで来たのか、知ることができる。そして、神様がどれだけ愛する対象を待ち望んで来たのか、知ることができる。心と体が一つになった対象は、神様が愛することができる対象となることができるので、神様の真の愛を受け、そして、その愛を与えることができるようになる。神様の真の愛を実践することにより、霊人体が成長し、霊人体が成長することにより、より神様の心情を理解することができる。霊人体が成長することにより、霊界に行ったら、神様と心情的に近いところで住むことができる。

これが、地上生活における心と体の役割であり、霊人体の成長具合により、神様と心情的な因縁を回復し、神様を喜ばせることができる人格者となることができることを願う限りである。

コンテンツを理解したからと言って、心と体の統一のための真の愛の実践できる訳ではありません。「心と体の統一」と言う問いに対し、答えるを見つける為のアクションステップを下記を参考に考えてみてください。

心と体の統一のための真の愛の実践する為のアクションステップ

神様と人間との関係性の構築

【疑問提起】

多くの人は、神様と意思疎通ができたら良いと考えるが、殆どの人は、神様の存在さえ、認識できず、意思疎通ができない。その理由は、神様との関係性が構築されていないからである。何故、神様と人間の関係性を構築できていないのか。それは、人間始祖が神様との関係性を自ら放棄し、サタンとの関係性を選んだからある。その後、人類は、神様との関係性を構築できず、サタンと意思疎通してきた。

聖書には、アダムとエバが、善悪を知る木の実を取って食べたことが堕落と記されている。詳しく説明すると、善悪を知る木の実とは、エバの愛を意味する。つまり、神様を中心として、愛を実体化しなければ、ならなかったエバが、蛇(天使長を比喩)の自己中心的な偽りの愛を中心として、愛を実体化してしまい。そのエバとアダムが愛を実体化してしまった。結果的に神様の所有物から、堕落した天使であるサタンの所有物に堕落しまったからである。

つまり、神様が人間を捨てたのではなく、人間が神様を捨てたのである。堕落により失われた関係性を取り戻すためには、人間が神様との愛の関係を再構築する必要がある。その為には、人類は、失われた神様からの信頼を回復するため宗教を通し、神様との関係性を構築しようと努力してきた。

しかし、宗教だけでは、神様との関係性を構築することはできない。何故かと言えば、宗教は、個々の信仰だけを重要視し、神様の願いを理解していないからである。神様の願いは、神様の代わりに人類を愛することであるが、宗教がそれを実現化できていない。現在の宗教は、宗教を超え、神様の愛を実現する社会運動となり、社会を神様の前に導く責任がある。宗教の究極的な目的は、神様の愛を実現し、神様を中心とした人類一家族世界を実現する事である。

つまり、人間が生きる最初の目的は、神様の愛を中心とした心と体が一つとなり、人格を完成することである。それにより、神様と失われた関係性を再構築し、神様の真の愛を地上に実現することができる。それは、究極的には、神様の息子・娘となり、神様の喜びのためだけに生き、神様が実現したかった地上・天上天国の実現の為に貢献することを意味する。

【目的】

神様の真の愛を中心として心と体の統一を通し、真の愛の実践により、霊界体を成長させ、神様の心を感じる人格者となり、神様を喜ばせる子女となること。

【目標】

神様を中心とした真の愛を自体化し、真の愛により、心と体を統一させ、真の愛の実践により、霊人体を成長させ、神様の愛を受けられる人格を形成し、神様の喜びを感じることができる真なる人格者になり、神様が認める息子・娘になること。

【戦略】

神様との関係性を邪魔するサタンと堕落性との関係性を切る。その為には、サタンと堕落性について、理解する必要がある。サタンとは、自己中心的な愛を持っている個人を通し、実体化する。堕落性とは、自己中心的な愛により発生した血統的な因縁、習慣性により、サタンの所有物になる。

サタンは、心と体の統一、霊人体の成長により、霊的に戦う力をつけることにより克服できる。堕落性は、真の愛の実践により、血統と習慣性から堕落性との因縁を切ることにより克服できる。

【戦術】

地上生活は、霊界での生である霊生を準備する為の期間であるということを自覚する。霊界での生は、地上において、どれだけ、真の愛を実践したのか、真の愛の実体になれたかにより決まる。その為には、人生設計する前に霊生設計する必要がある。また、人生設計をうまく立てられていないのであれば、7つの習慣などを学習、実行し、習慣性を変えることで、人生を変えることができる。

【現状】

地上の主人は、サタンであり、サタンの主管圏で生きていた人間は、サタンの血統と堕落性により、サタンの所有物になっている。サタンと関係性がある限り、神様との関係性を構築することは、難しい。

サタンと関係性かある原因は、人類は、自己中心的な愛により、堕落した血統で生まれて来た。堕落は、天使長が自らの立場を離れ、自体自覚することから発生した。人類は、間違った自体(自己)と言う考え方を持つ限り、サタンと堕落性は常に主管してくる。つまり、自己中心的な愛を持っている限り、サタンの所有から抜け出すことはできない。

【課題】

サタンと堕落性は、両方とも霊的な存在であり、普通は、実体を認識することが難しい。なので、霊的な世界に対し、理解を深め、霊的な力を持たない限り、人類は、霊的な攻撃から守る術を持っていない。地上と霊界は、サタンと堕落性により、地獄のようになっており、サタンと堕落性による苦しみから解放されることはない。

また、地上生活は、神様の真の愛を実現することが目的である。何故かと言えば、神様の真の愛でしか、霊界で生活できる体の霊人体は成長しないからである。

霊人体が成長せず、霊界に行ければ、霊界での生活は悲惨なものになる。また、霊界での生活する環境は、どれだけ、神様の真の愛を地上で実現し、神様の代わりに人類を愛したのかによって決まってくるので、善の功績がなければ、住む場所も悲惨なものになる。

地上生活を霊生を見据え、計画しなければならないのは、選択ではなく、必須であり、全ての人が通過するべき道なのである。

【改善】

神様との関係性を構築する為には、先ずは、サタンと堕落性との関係性を断つ必要がある。その方法は、他体自覚である。自らの存在意義は、自己からではなく、他体から与えられるものであると言うことを理解する必要がある。

具体的に言えば、心は、体のために存在し、体は心の為に存在する。また、肉身と霊人体との関係性も同じである。また、霊人体と神様の心である生心の関係性も同じである。つまり、人間とは、自己からくる目的性ではなく、神様から与えられた創造物であり、創造目的に対し、自らの存在意義を合わせる必要がある。創造物は、神様の喜びの対象として、創造されたと言われているのは、その為である。

その方法は、神様が願われている自らの存在意義と価値を理解することである。それは、真の愛により、神様の願いを100%感じ取ることができるようになることである。つまり、神様の実体として、神様の子女になることを意味する。

本来、人間が堕落しなければ、神様の心情を理解するので、偽りの愛により堕落することはあり得ない。つまり、堕落を復帰する道は、神の心情を霊人体を通し、心を通し、体を通して実現化する実体となることである。

結果的には、人類に対し、神様は、息子、娘になるように望んでおられるが、人類は、自らその道を放棄した。なので、人類が神様の愛に帰り、神様の愛を代わりに実現化することにより、サタンに奪われた神の息子と娘の立場を復帰し、サタンから所有権を取り戻していかなければならない。

【効果】

サタンからの神様の息子、娘としての所有権を取り戻すことができれば、サタンと堕落性は、干渉することが難しくなる。勿論、最初から克服することは難しいので、最初は、僕の僕の立場から出発し、神様との関係性も、親子ではなく、主従関係のように感じるかも知れない。しかし、それは、人類が神を捨て、歩んで来た6千年間にできた人類の心情的な溝である。

神様は、人類に対し、常に、親子の心情で語りかけてくれており、家出した子供がいつか帰って来てくれることを待ち望んでいる。神様が諦めていないので、人類が神様の元に帰られるのであり、人類が神様の前に帰るのは、人類の努力よりも、神様の無限なる愛の結果であることを理解して感謝しなければならない。

結果的には、神様との親子の心情を復帰して、神様から子供の立場を復帰することができれば、霊人体を成長させることができる。神様から子供の立場を復帰できれば、他の人を神様の子供として、復帰することができる。

【結論】

神様と人類との関係は、親子の関係であるが、その関係性が構築できていないのは、人類が神様との関係を放棄し、サタンとの主従関係を構築したからである。それにより、サタンと堕落性との関係性と戦い、克服できない限り、神様の基に帰ることはできなくなった。サタンとの関係性を切り、神様との関係性を構築する為には、自体自覚による自己中心的な偽りの愛の人格から、他体自覚による神様の愛を中心とした真の愛の人格になることである。それにより、神様を裏切り、神様の元から離れていった人類が、神様の元に帰り、神様の愛により、子供の立場を復帰する事ができるようになる。その結果、地上で神様の愛を実践し、実体化した結果により、霊人体が成長し、霊生の生活の中で、より神様に近い所で、生活できるようになる。

これが霊生を見据えた人生を生きる目的であり、このような方向性で生きることで、より神の喜びの対象となり、より神様と近い生活ができるようになることを願う限りである。

コンテンツを理解したからと言って、神様との関係性を構築できる訳ではない。コンテンツを理解した前提で、アクションステップを考え、実施することで、神様と貴方の関係性を見つめ直し、構築することができます。アクションステップの立て方や例については、下記のURLを参考にしてください。

神様と人間との関係性の構築の為のアクションステップ