霊界特集4:御言葉を分かりやすく読める方法

御言葉をわかりやすく読むことで、理解できるようにお伝えします。

【「真の愛」と言うパスワードを入れて読む】

御言葉は、「真の愛」と言うパスワードがかけられています。

真の愛がなければ、御言葉の意味を正確に理解することが難しいです。

何故、「真の愛」と言うパスワードをかけたのでしょうか。それは、自己中心的な愛により、御言葉を悪用したり、利用したりするのを防ぐ為です。それは、御言葉を奪おうとするサタンから、御言葉を守ろうとされた為です。

具体的に説明すると、「真の愛」と言う動機がなければ、御言葉の意味が理解できません。

例えば、「神様が人間を創造された」と言う御言葉があります。もし、自己中心的な愛で理解すれば、「私は、神様から創造された創造物だ、私は、神様から愛されるべきだ」と解釈します。

しかし、真の愛で理解すれば、「神様に人間は、創造して頂いたのに、堕落してしまって申し訳ない。人間始祖をサタンに奪われて悔しい、絶対にサタンから奪われたものを取り返す」と解釈します。

神様が人間を創造された目的は、神様の真の愛です。同じく、神様が被造物を創造された時の御言葉(ロゴス)も神様の真の愛が基準となり、作られています。

なので、その御言葉を正しく理解するためには、堕落により生じた自己中心的な偽りの愛ではなく、神様が被造物を愛したいと言う真の愛がない限り、理解できないようにできています。

このパスワードがかけられているので、サタンがオウムのように御言葉を語ったとしても、真の愛が動機になっていないので、効果が発揮されないようになっています。

また、堕落人間がいくら御言葉を語っても、何も起きないのは、御言葉を語る動機が、真の愛ではないからです。御言葉を利用し、相手を審判したり、追い詰めたりする人は、御言葉を語る資格がありません。

御言葉は、真の愛が動機になることにより、相手を癒し、救うことができます。そのように読めるようになれば、全ての御言葉を真の愛で語られたと言う事実を知ることができます。

【「神様の視点」から読む】

御言葉は、「神様の視点」でなければ分からないようになっています。

「神様の視点」がなければ、御言葉の意味を正確に理解することが難しいです。

何故、「神様の視点」がなければ、分からないようになっているのでしょうか。それは、自己中心的なサタン的な視点を持っている人は、御言葉を聞いても、理解できないようになっているからです。

具体的に説明すると、「神様の視点」と言う観点から見ないと、御言葉の意味が理解できません。

例えば、「人間が堕落した」と言う御言葉があります。自己中心的な観点で理解すると、「人間始祖は、罪人だ、だから、それから生まれてきた人は、サタンの子なのだ、だけど、自分は、神様を信じているから、自分だけは、救われるのだ」と解釈します。

しかし、神様の視点で理解すれば,「神様、申し訳ありません。できることなら、人間始祖の代わりに謝りたいです。許して欲しいのではないです。彼らの代わりに、サタンに奪われた全ての被造物を取り返すために全てを貢献したいです。」と解釈します。

神様が人間を創造された目的は、人間が真の愛の実体となることで、共に喜び合いたいと言う神様の視点です。同じく、神様が被造物を創造された時の御言葉(ロゴス)も神様の視点が基準です。

なので、その御言葉を正しく理解するためには、堕落により生じた自己中心的な堕落人間の視点ではなく、神様が被造物を愛したいと言う神様の視点がない限り、理解できないようにできています。

堕落人間は、神様の視点を理解できないので、御言葉を理解できないです。自らの堕落性を克服し、神様の視点で、誰かを愛そうと努力している人にしか、御言葉の意味を理解できないようになっています。

また、御言葉を自己中心的な視点で語る人は、人を傷つけます。御言葉は、神様の代わりに相手を愛すると言う視点がなければ効果が出ないようになっているのです。神様の視点が理解できるようになれば、全ての御言葉が神様の視点で語られたことを理解できるようになります。

【「真の愛」を実践して読む】

御言葉は、「真の愛」を実践しなければ分からないようになっています。

「真の愛」を実践した経験がなければ、御言葉の意味を正確に理解することが難しいです。

何故、「真の愛」を実践していなければ、分からないようになっているのでしょうか。自己中心的なサタン的な愛を実践している人は、御言葉を聞いても、理解できないようになっているからです。

具体的に説明すると、「真の愛」と言う動機ないと、御言葉の意味が理解できません。

例えば、「中心人物」と言う御言葉があります。自己中心的な観点で理解すると、「私は、中心人物なのだから、私が一番神様から愛されているのだ、私以外の中心人物として選ばれなかった人は、私に侍ることで、神様に繋がるのだ、神様は私だけを支援してくれる」と解釈します。

しかし、真の愛の実践が動機で理解すれば,「神様、こんな私が中心人物になって申し訳ありません。また、私以外の人が神様に導かれるように私ができる限りの精誠をささげ、他の人の僕として侍ります。最善を尽くしますが、私の堕落性により、他の人がつまずかないようにお守りください。」と解釈します。

神様が人間を創造されたのは、神様の真の愛の実践です。同じく、神様が被造物を創造された時の御言葉(ロゴス)も神様の真の愛の実践が基準です。

なので、その御言葉を正しく理解するためには、堕落により生じた自己中心的な堕落人間の愛の実践が動機ではなく、神様が被造物を愛したいと言う真の愛の実践が動機でない限り、理解できないようにできています。

堕落人間は、真の愛の実践を理解できないので、御言葉を理解できないです。自らの堕落性を克服し、真の愛の実践で、神様の代わりに誰かを愛そうと努力している人にしか、御言葉の意味を理解できないようになっています。

また、自己中心的な愛を実践しながら御言葉を語る人は、説得力がありません。御言葉は、神様の代わりに相手を愛すると言う真の愛の動機がなければ効果が出ないようになっているのです。神様の真の愛の実践が理解できるようになれば、全ての御言葉が神様の真の愛を実践され、真の愛で語られたことを理解できるようになります。

【まとめ】

御言葉は、真の父母が真の愛の実体となり、神様の代わりに真の愛を実践されて語られた言葉である。なので、御言葉の相対圏に入りたいのであれば、真の愛を理解し、真の愛を実践しなければならない。

膨大な御言葉を語られた理由は、神様が真の父母を通し、堕落により失われた御言葉(ロゴス)を地上に残したかったからである。そして、堕落人間の責任分担は、御言葉を実践し、真の愛を実践しながら、真の愛の実体化になることである。

そして、サタンと堕落人間に奪われた御言葉を取り戻していくことである。真の愛を実体化していない限り、サタンと堕落人間は、絶対に御言葉を返そうとはしない。何故ならば、サタンと堕落人間は、御言葉の前に、自らの存在意義と価値を失うと言うことを知っているからである。本来ならば、御言葉によって、主管を受けるべき存在であると言う事を知っているので、堕落人間が御言葉の実体になる事を妨害するのである。

堕落人間は、どうやったらサタンから御言葉を取り戻す事ができるだろうか。御言葉を取り戻すためには、死んでも構わないと言う思いを持たなければならない。何故か、それは、人間始祖は、御言葉を守らなければ、死んでしまうと言う御言葉を守れず、死んでしまった。つまり、死を超えて堕落した人間は、御言葉を取り返すために死んでも構わないと言う動機を持たなければならない。それは、堕落により引き継がれた自己中心的な生を放棄し、御言葉を中心とした生を決意しなければ、取り戻すことができない。

その死とは、肉体の死ではなく、自己中心的な偽りの愛を中心とした生を捨て、全ての人生を神様の真の愛で生きることを決意し、実践してこそ、サタンと堕落人間から御言葉の主人であることを認めてもらえるのである。

一人でも多くの人が、御言葉の主人となり、サタンの主管から、御言葉を取り返すことができるようになることを願います。