ウクライナとロシアが共に愛し合うために 우크라이나와 러시아가 서로 사랑하기 위해서

今、ロシアがウクライナに侵攻している中、我々が何ができるのか、考えました。

지금 러시아가 우크라이나를 침공하고 있을 때 우리가 무엇을 할 수 있을까 생각해 봤습니다.

もし、文鮮明先生と韓鶴子先生ならどうされたのか。

만약 문선명선생님과 한학자선생님이라면 어떻게 하실 것인가.

参考になるのが、今と同じような状況である9.11テロがあった時、アメリカが戦争を起こそうとしていました。その時、文鮮明先生は、「戦争を起こすのではなく、アフガニスタンに学校と病院を作り、アフガニスタンを豊かにすれば、戦争する必要がない」と仰ったと言う。

참고로 할 수 있는 것이 지금과 비슷한 상황인 9.11 테러사건이 있었을 때 미국은 전쟁을 준비 하고 있었습니다. 그 때 문선명선생님은 [전쟁을 하는 것이 아니라 아프가니스탄에 학교와 병원을 만들어서 아프가니스탄이 발전이 되면 전쟁할 이유가 없어진다]라고 말씀 하셨다고 합니다.

つまり、アメリカを攻撃してくる敵国を批判し、戦争により解決しようとするのではなく、敵国を許し、愛そうとされたのだと思います。

즉 미국을 공격하는 적대나라를 비판하고 전쟁으로 해결하려고 하는 것이 아니라 적대나라를 용서하고 사랑하려고 하신 것이라고 생각합니다.

それならば、我々も同じようにウクライナを侵攻したロシアを恨み攻撃するのではなく、ウクライナとロシアが共に愛し合うことができるように努めなくてはならないと思います。

그러면 우리도 마찬가지로 우크라이나를 침공한 러시아를 미워하고 공격하는 것이 아니라 우크라이나와 러시아가 서로가 사랑할 수 있도록 노력 해야 한다고 생각합니다.

今、この戦争に答えを出せる国は、存在しないと思います。国が何もできないのであれば、我々、宗教者達が立ち上がらなければなりません。

지금 이 전쟁에 답을 내릴 수 있는 나라는 없다고 생각합니다 어느나라도 해결할 수 없다고 하면 우리 종교를 가지고 있는 사람들이 일어나야 한다고 생각합니다.

何故でしょうか。我々がよく言う言葉に「神様の下の人類一家族」と言う言葉があります。まさに、今、それが失われようとしています。

왜냐하면 우리가 항상 말하고 있는 말 중에 [하나님 아래 인류 한가족]이란 말이 있습니다. 지금 바로 이 한가족이 없어지려고 합니다.

私にとっては、ウクライナ人とロシア人も家族であり、共に愛し合うべき兄弟です。もし、家族が喧嘩して殺し合っていたら、同じ兄弟だったら、止めるべきです。

저한테는 우크라이나사람도 러시아사람도 가족입니다. 서로가 사랑해야 하는 형제입니다. 만약 가족이 싸우게 되고 서로 죽이고 있을 때 같은 형제라면 말려야 합니다

神様が親で、人類が家族なら、家族の悲しみは、神の悲しみであり、神様が悲しまれているのであれば、神様を知る宗教者がそれを止めるために立ち上がるべき時だと思います。

왜냐하면 하나님이 부모고 인류가 가족이라면 가족의 슬픔은 하나님의 슬픔이고 하나님이 슬퍼하고 있으면 하나님을 알고 있는 종교인들이 그 슬픔을 멈추기 위해서 일어날 때라고 생각합니다

宗教者でなくても、平和を愛する人、全ての人類を愛している人は、是非、一緒に平和のために貢献して行きましょう。

종교인이 아니라도 평화를 사랑하는 사람, 모든 인류를 사랑하고 있는 사람은 함께 평화를 위해서 공헌합시다

戦争を非難しても、分断と葛藤を増やすだけです。戦争するようになった原因は、神様を知らず、人類を家族だと思えない思いにより始まっています。先ずは、我々が、神様を知り、神様を父母として侍りましょう。そうすれば、人類が一つの家族となり戦争する意味はないと言うことを伝えて行きましょう。

전쟁을 비판 해도 분단과 갈등만 늘어날 것입니다 전쟁이 일어나게 된 원인은 하나님을 모르는 사람이 인류를 가족이라고 생각하지 못하는 마음에서부터 시작했습니다. 먼저 우리가 하나님을 알고 하나님을 부모로 모십시다. 그러면 인류가 한가족으로 만들어서 전쟁을 할 이유가 없다는 것을 전달 해 나갑시다.

霊界特集7:個人的なサタンと悪霊と戦い、勝利する方法

サタンと戦い勝利する方法をお伝えします。

サタンと悪霊との戦い、勝利する方法

何故、人は、幸せになることができないのか。それは、サタンと戦い、勝利できないからである。サタンとは、霊的な存在なので、霊的な無知を克服していない人は、存在さえ認識できず、認識さえできないので、攻撃を防ぐこともできない。ましてや、戦って勝利することなど、不可能なのである。

サタンとは、何か、それは、自己中心的な愛の存在であり、神様の創造目的から反する存在である。サタンと戦い、勝利するためには、サタンとは、何なのか、どうやって人間を主管し、人間をサタンの意のままに操っているのか、知る必要がある。

何故、サタンと戦い勝利しなければならないのか、それは、堕落人間が創造目的を悟り、神様と関係性を持とうとしても、サタンが妨害し、人間が神様に繋がる道を絶とうとするからである。つまり、サタンと戦い、勝利しない限り、神様に出会うことも、神様の創造目的通りに生きることも不可能なのである。

【サタンの目的と目標】

人間始祖を堕落させたサタンの目的は、神様から息子(アダム)と娘(エバ)を奪い、創造目的を達成させないためである。つまり、堕落した天使であるルーシェルは、創造目的を達成させないためにアダムの立場を奪おうと考えたのである。

アダムの立場を奪うためにエバを利用し、エバの愛でアダムを堕落させたのである。人間始祖の堕落により、創造目的が達成できず、人類は、サタンの主管下に堕ちてしまった。

つまり、サタンは、今でも、創造目的が実現させない為、常に、人間を主管しようとしているのである。

また、サタンの目標は、神様の願いを妨害する事で、再び、創造目的を達成できないようにすることである。サタンは、神様の創造目的を実現させないため、真の父母を人間始祖の時と同じように、創造目的が実現しないように妨害する。

このサタンの攻撃は、全てのサタンと堕落人間が復帰されない限り、攻撃は止まらない。

何故、サタンの目的と目標を認識しないといけないのか、それは、サタンが一番最初に攻撃する対象を理解することにより、攻撃されている対象を守ことができるからである。サタンが一番最初に攻撃するのは誰か、それは、神様の願いを叶える存在であり、神様の創造目的の実体である真の父母です。

サタンとの戦いは、自分自身を守ことでも、家族を守ことでもありません。神様の代わりに真の父母を守ることを意味します。

我々の使命と責任は、自分が幸せになることでも、家族が幸せになることでもありません。サタンから真の父母を守り、真の父母の願いを叶えようとしている人を守ことができるようになることです。サタンから神様が愛したいと願っている人を神様の代わりにサタンから守ことにより、神様を愛したと言う実績になります。

【霊的な攻撃】

サタンは、どのようにして霊的に攻撃してくるのか、それは、神様を愛そうとする人を不幸に落とし入れる。特に、神様が愛された祝福家庭は、よりサタンから攻撃される。霊的な攻撃を受けることにより、個人や家庭が不幸になる。ここで言う不幸とは、自己中心的な愛を持つことを意味します。

具体的には、どのような攻撃だろうか、それは、自己中心的な愛により、お互いが恩讐関係になるように攻撃する。祝福家庭が一つになれないように、お互いが攻撃し合い、憎しみ合うようにしてくる。サタンの攻撃は、自己中心的な愛によるものなので、信仰では、霊的な攻撃を防ぐことも、迎え撃つこともできない。

何故、神様が愛され、神様を愛するように期待された祝福家庭がよりサタンから攻撃されるのであろうか、それは、祝福を受けた後、神様の愛を中心とした個人を成していないからである。もし、神様の愛を中心として、自らを神様の代わりに愛していれば、サタンが入り込む隙間はない。

祝福を受けた後、神様の真の愛で生きなければならない。サタンを中心とした人生の習慣性を捨てない限り、サタンの主管から抜け出すことができない。真の愛で生きることにより、最終的には、産まれた動機を肉親の父母の愛ではなく、神様の愛によって産まれたと感じることができる。1秒でも神様の愛と関係のない時間がある限り、サタンは、それを条件に主管しようとしてくるのである。

【肉的な攻撃】

サタンは、どのようにして肉的に攻撃してくるのか、サタンは、多くの堕落人間を動員し、神様の代わりに愛そうとするのを妨害してくる。つまり、神様の願いを実現しようと努力する人は、常に妨害される。

具体的には、堕落人間を自己中心的な愛で生きるようにし、神様の真の愛で生きることを妨害する。つまり、神様を愛するために生きようとすればするほど、堕落人間から攻撃されるのである。

何故、神様が愛され、神様を愛するように期待された祝福家庭がよりサタンから攻撃されるのであろうか、それは、祝福を受けた後、堕落性を克服できていないからである。もし、神様の愛を中心として、堕落性を克服していれば、サタンが入り込む隙間はない。

祝福を受けた後、創造目的で生きなければならない。サタンを中心とした人生の習慣性を捨てない限り、サタンの主管から抜け出すことができない。創造目的で生きることにより、最終的には、産まれた動機を肉親の父母の目的ではなく、神様の創造目的によって産まれたと実感しなければならない。1秒でも神様の創造目的と関係のない時間がある限り、サタンは、それを条件に主管しようとしてくるのである。

ここで言う堕落人間とは、堕落性を克服できていない人を意味するので、祝福家庭でも、堕落性を克服できてなければ、堕落人間である。堕落人間である限り、創造目的を実現する神様の側の立場ではなく、サタン側で神様の側の人々を攻撃する様になる。先ずは、自分がどちらの側に立っているのか、自分の人生を振り返って考えてみて欲しい。

【サタンと悪霊との戦い】

何故、サタンと戦い、勝利しなければならないのか、それは、

サタンとの闘いを勝利することにより、霊的な力を手に入れることができる。人間始祖を堕落させたサタンは、人類を偽りの愛で主管してきた。神様は、人類歴史を通し、サタンと戦ってきたのである。つまり、サタンと戦うのは、神様の願いなのである。

サタンと戦い、勝利することができれば、天使が味方となり、支援してくれる。また、悪霊との戦い勝利することにより、他の悪霊と戦える霊的な力を手に入れる。もし、悪霊を教育し、神様の願いを教育できれば、神様の願いを叶えるために協力してくれる。

サタンと戦い、勝利することにより、サタンを理解することができ、他のサタンとの戦いを勝利することができる。戦いで勝利することができるようになれば、恐れることになく戦える。つまり、サタンと戦い、勝利する方法は、自らが神様の真の愛の実体となって、サタンが讒訴できる条件がない生活することである。

【まとめ】

人は、罪を犯さなければ、サタンが干渉して来ないと考えているかもしれないが、サタンは、自己中心的な愛を持っている限り、自己中心的な愛により、人を主管してくるのである。サタンと戦い、勝利することにより、神様の真の愛の実態となって、神様の代わりに人類を愛することができるのである。

サタンから攻撃を受けていることを実感できていない人は、サタンから攻撃を受けていないから、実感できないのではなく、既に、サタンの主管下にいるので、神様の側を攻撃している立場にいる。

自らがサタンの側なのか、神様の側なのかを決めるのは、自らの人生の中で、自己中心的な愛の時間が1秒でもあれば、それは、サタンの主管下に生きていることになる。

信仰では、サタンの主管下から逃げることはできない。サタンの主管下から解放される方法は、神様の代わりにサタンを愛し、サタンから愛の主観権を取り戻すしか方法がない。サタンがさたんになった原因は、サタンの過分なる欲望にあったかもしれない。しかし、人間始祖が、天使長ルーシェルを主管しなければならなかったのにも関わらず、主管できなかったので、人間始祖の過ちでもあるのである。

人間始祖が成せなかった天使長を主管することは、真の父母がなされたが、人類歴史を偽りの愛で主管したサタンと悪霊人を復帰する使命は、その堕落の後孫である我々が成さなければならない。我々の使命は、全てのサタンと悪霊、そして、堕落人間が神様の創造目的に沿って生きる世界を実現させることである。

堕落人間が創造目的を完成するのは、天宙から堕落に関する痕跡が全て無くなってからである。もし、堕落の痕跡が残っているのであれば、神様が悲しまれるので、神様を愛している人であれば、神様のために痕跡を無くすために努力するのである。

本当に神様を愛してる人は、自分が救われるとか、幸せになるためにいきるのではなく、神様が幸せなのか、神様が救われるために自らの生き方を変えていく人である。どうか、一人でも多くの人が、神様を愛する生き方により、サタンと戦い、勝利し、神様の愛の世界を実現させるために貢献することを願う限りである。

6.万物を愛する方法 6.만물을 사랑하는 방법

ここからは、私の人生は、どのように歩んできたのか、そして、これからどのように歩むのかについて話したいと思います。

여기서 전달하는 내용은 제가 어떻게 지내 왔고 그리고 앞으로 인생을 어떻게 살 것인지에 대한 내용을 전하려고 합니다.

万物をどのように愛したら良いのか、疑問に思っている人がいると思いますが、何かのお役に立てれば幸いです。

만물은 어떻게 사랑하면 되는지에 대해서 질문을 가지고 계시는 분이 있다면 참고로 해 주시면 합니다.

一つ目は、万物の声を聞くと言うことです。万物の代表的なものは、自身の体です。特に、体の一つ一つの細胞と話してみてください。私は、いつも細胞と会話しているのですが、彼らが話すことは、私のことを愛していますかと聞いてきます。そして、私の愛が届いていますかと聞いてきます。最後に聞いてくるのは、貴方は、誰を愛したいですかと聞いてきます。

첫번째는 만물의 소리를 들어야 합니다. 만물의 대표적인 것은 본인의 몸입니다. 특히 몸의 하나하나의 세포랑 대화를 해 주십시오. 저는 세포랑 항상 이야기 하고 있지만 그들이 이야기 하는 내용은 나를 사랑하고 있습니까. 그리고 나의 사랑이 전달이 되고 있습니까 마지막에 이야기는 당신은 누구를 사랑하고 싶습니까 라고 물어봅니다.

もし、自身の体が、自分の所有物であり、思い通りに主管する対象だと考えているのであれば、体の声を聞こうとはしません。何故、体の声を聞かなければならないのでしょうか。体の声を聞くことにより、体が何を望み、どのように生きて欲しいのか、答えをくれます。体とよく会話すると自分が行くべき道を教えてくれるようになります。

만약 본인의 몸이 본인의 소유물이여 마음대로 주관하는 대상물이라고 생각하면 몸의 소리는 들으려고 하지 않습니다. 왜 몸의 소리를 들어야 합니까. 몸의 소리를 들게 되면 몸이 무엇을 원하고 어떻게 살기를 바라는지 알려 줍니다. 몸이랑 잘 대화를 하게 되면 본인이 어디로 가야 하는가 길을 알려 줍니다.

どうすれば、体の声を聞くことができますか。それは、体が応えるのは心の声です。心の声で、体に聞いてみてください。体がどうしたいのか、どのように生きて欲しいのかを聞いてみると、体は、答えてくれます。心と一緒に生きたいと、心が喜ぶことを体がしたいと願っている声が聞こえます。

어떻게 하면 몸의 소리를 들 수 있습니까 그것은 몸과 대화를 할 수 있는 것은 마음의 소리입니다. 마음의 소리로 몸한테 물어 보세요. 모이 어떻게 하고 싶은지 어떻게 살기를 바라는지 물어보면 몸은 대답해 줍니다. 마음과 함께 살고 싶고 마음이 기뻐하는 것을 몸이 하고 싶다고 말해 줍니다.

もし、体の声が聞こえない人は、体が声を発していないから、聞こえないのではなく、聞こうとはしていないからです。聞くことを放棄した人は、声が聞こえる訳がありません。聞く為には、かなりの訓練が必要です。訓練の方法は、簡単です。心が喜ぶことを沢山してください。心が一番喜ぶことは、神様を愛することです。

만약 몸의 소리를 들 수 없는 사람은 몸이 말하지 않기 때문에 들 수 없는 것이 아니라 들으려고 하지 않기 때문에 들이지 않는 것입니다. 듣는 것을 포기한 사람한테 소리가 들이지 않는 법입니다. 몸의 소리를 듣는 것은 많은 훈련이 필요합니다. 그런데 훈련하는 방법은 간단합니다. 마음이 기뻐하는 행동을 많이 하면 됩니다. 마음이 제일 기뻐하는 것은 하나님을 사랑하는 것입니다.

神様を愛そうとすると、自然に体の声が聞こえます。何故かと言えば、体の願いとは、神様を愛する人になることだからです。それは、神様が人間を創造された目的が、神様が人間を愛し、人間が神様を愛するようになる世界を願われたからです。その世界を実現しようと努力する人になれば、体は、最高に喜び、嬉しい悲鳴を叫ぶようになります。

하나님을 사랑하려고 하면 자연스럽게 몸의 소리가 들이게 됩니다. 왜냐하면 몸이 원하는 것은 하나님을 사랑하는 사람이 되는 것이기 때문입니다. 그것은 하나님이 인간을 창조하신 목적이 하나님이 인간을 사랑하고 인간이 하나님을 사랑할 수 있는 세계가 되기를 바라셨습니다. 그 세계를 실현하려고 노력하는 사람이 있다고 하면 몸은 최고로 기뻐하고 즐거워할 것입니다.

2つ目は、万物と会話してみてください。普通に万物と会話しようとすると、変な人と思われるので、心で聞いても見てください。万物と心を通わしてみてください。先程の体と同じく答えてくれます。彼らが話すことは、私のことを愛していますかと聞いてきます。そして、私の愛が届いていますかと聞いてきます。最後に聞いてくるのは、貴方は、誰を愛したいですかと聞いてきます。

두번째는 만물과 대화를 해 주세요. 그냥 갑자기 만물과 대화를 하고 있으면 이상한 사람으로 생각할 수도 있기 때문에 마음으로 물어보세요. 그렇게 만물과 마음을 통해 보세요. 전에 말씀 드린 몸과 같은 대답을 해 줍니다. 그들이 말하는 것은 나를 사랑합니까. 나의 사랑이 전달 되어 있습니까. 마지막의 질문은 당신은 누구를 사랑하고 싶으십니까 라고 물어봅니다.

体と同じで、万物の声が聞こえないと言う人は、声を聞こうとしていないからです。万物に話しかけることもなく、存在する事を当たり前と思い、感謝もせず、受け入れている人には、その価値が分からないと思います。万物の声を聞く方法にも訓練が必要です。訓練の方法は、簡単です。万物が喜ぶことを沢山してください。万物が一番喜ぶのは、神様の為に生きる人です。

몸과 마찬가지로 만물의 소리가 들이지 않는 사람은 소리를 들려고 하지 않기 때문입니다. 지금까지 만물이랑 대화를 하지 않고 만물이 있는 것은 당연하다고 생각하면서 감사하지 않게 지내왔던 사람은 그 만물의 가치를 알 수 없을 것입니다. 만물의 소리를 듣는 방법도 훈련해 필요합니다. 그런데 훈련하는 방법은 간단합니다. 만물이 기뻐하는 행동을 많이 해 주세요. 만물이 제일 기뻐하는 것은 하나님을 사랑하는 사람입니다.

何故、神様を愛そうとすると、万物の声が聞こえるようなるのか、それは、万物の願いは、神様を愛する人、神様に愛される人に愛で主管されることを願っているからです。神様が人間を含め、被造物を作られた目的は、神様の真の愛で主管されたいと願っておられました。その世界を実践させようと努力する人がいれば、万物は喜び、集まってくるようになります。

왜 하나님을 사랑하려고 하면 만물의 소리가 들이게 되는 것입니까 그것은 만물이 바라는 것은 하나님을 사랑하는 사람 하나님의 사랑을 받는 사람한테 하나님의 사랑으로 주관을 받기를 바라기 때문입니다. 하나님이 인간을 포함하고 피조물을 만드신 목적은 하나님의 참된 사랑으로 주관하시어서 바라셨습니다. 그 세계를 실현하기 위해서 노력하는 사람이 있다고 하면 만물이 기뻐하고 모여들게 되는 것입니다.

3つ目は、神様の代わりに万物を愛して見てください。そうすれば、万物の方から、貴方に声をかけてくるようになります。何故、そのようになるのかと言えば、万物は、神様の代わりとなる人間に主管されたいと願っているからです。また、神様も神様の真の愛を実現化した人を通し、万物を愛したいと願っておられるからです。

세번째는 하나님을 대신해서 만물을 사랑해 보세요 그렇게 하면 만물이 당신한테 말하게 됩니다. 왜 그렇게 되어 있느냐고 하면 만물은 하나님을 대신할 수 있는 인간에게 주관 받고 싶다고 생각하고 있기 때문입니다. 그리고 하나님도 하나님의 참된 사랑을 실현화 한 사람을 통해서 만물을 사랑하기를 바라십니다.

神様の代わりに万物を愛そうとすると、万物の本来の姿を見ることができるようになります。目に見える万物の姿ではなく、万物を構成している最小の要素に目を向けてみれるようになります。万物の最小の要素は、物体ではなく、愛です。つまり、万物は、愛により構成されていることに気がつくことです。

하나님을 대신해서 만물을 사랑하려고 하면 만물의 원래 모습이 보이게 됩니다. 그 모습은 눈에 보이는 모습이 아니라 만물을 구성하고 있는 최소의 요소가 보이게 됩니다. 만물을 구성하고 있는 최소의 요소는 물질이 아닙니다. 사랑입니다. 즉 만물은 사랑으로 구성 되어 있는 것을 알게 됩니다.

何故、万物が愛で構成されているのかと言えば、それは、神様が愛で被造物を創造されたからです。神様は創造目的を完成した人間を通し、被造物を愛で、主管されようとしました。しかし、サタンの自己中心的な偽りの愛により、人間が堕落してしまい、万物は主管主を失ってしまいました。なので、万物は失望し、声を閉ざしてしまいました。堕落により、サタンに奪われた主管圏を取り戻す方法は、自己中心的な偽りの愛ではなく、神様の愛を中心とした真の愛で、万物を愛そうとする時、万物は、喜び、歓喜の声を上げながら、助けてくれるようになります。

왜 만물이 사랑으로 구성되어 있느냐고 하면 그것은 하나님이 사랑으로 피조물을 창조했기 대문입니다. 하나님은 창조목적을 완성한 인간을 통해서 피조물을 주관하려고 하셨습니다. 그러나 사탄의 자기중심적인 거짓된 사랑으로인해서 인간이 타락해버렸고 만물은 주관주의 잃어버렸습니다. 그 후에 만물은 실망하고 소리를 내지 않게 되었습니다. 타락으로 인해서 사탄한테 빼앗겼던 주관성을 돌리기 위해서는 자기중심적인 거짓된 사랑이 아니라 하나님의 사랑을 중심으로 한 참된 사랑으로 만물을 사랑할 때 만물은 기뻐하고 환희의 소리를 내면서 도와 주게 됩니다.

この3つの方法ができるようになったら、万物が助けてくれるようになります。何故かと言えば、万物は、その人が、より神様の夢を実現する為に貢献することを望んでいるからです。また、そのような万物の応援の声を聞いていると、頑張ろうと言う気持ちになります。万物の喜びが自分の喜びであり、自分の喜びは、万物の喜びであると言うことが感じるようになります。

이 세가지 방법을 할 수 있게 되면 만물이 도와 주게 됩니다. 왜냐하면 만물은 그 사람이 보다 하나님의 꿈을 실현하기 위해서 공헌하는 것을 바라기 때문입니다. 그리고 그런 만물의 응원하는 소리를 듣고 있으면 힘이 납니다. 만물의 기쁨이 본인의 기쁨이고 본인의 기쁨이 만물이 기뻐하는 것을 느낄 수 있게 되기 때문입니다.

整理すると、神様の真の愛で万物を愛することにより、体と万物の声が聞こえるようになります。そして、神様の代わりに万物を愛するようになると、万物が応援してくれます。そのように人と万物が一つとなり、神様の理想世界を実現しようと思って生きていれば、人間始祖の堕落により、サタンに奪われた、万物の主管圏を取り戻し、神様の元に万物を導けるようになります。

정리를 하면 하나님의 참된 사랑으로 만물을 사랑함으로써 몸과 만물의 소리를 들 수 있게 됩니다. 그리고 하나님을 대신해서 만물을 사랑하게 되면 만물이 응원해 줍니다. 그런 사람이랑 만물이 하나가 되고 하나님의 이상세계를 실현하려고 살고 있으면 인간시조의 타락으로 인해서 사탄한테 빼앗겼던 만물이 주관성을 돌리고 하나님 앞에 만물을 인도 할 수 있게 됩니다.

3.霊界はどうなっていますか。 3.영계는 어떻게 되어 있는가

霊界の実態については、目に見えない世界なので、理解するのが難しいと思います。しかし、私は、4歳の時に死にかけて以来、霊的な感性があるので、霊界の実態について、多くのことを経験しました。経験したことをわかる範囲で説明するので参考にしてください。

영계의 실상에 대해서 눈에 보이지 않기 때문에 이해하기 어려울 것입니다. 그러나 저는 4살 때 죽을뻔해서 그 후에 영적인 감성이 있어서 영계의 실상에 대해서 많은 것을 경험해 왔습니다. 경험한 내용을 아는 범위에서 설명하겠습니다.

答え

霊界は、死後の世界と思われる方が多いかと思いますが、死後に訪れる世界でなく、霊的な感性がないと感じることができないだけで同一の世界です。霊界が全体を意味しているのであるとすれば、地上は、その中の肉眼で認識できる一部の世界です。地上と霊界は、分かれているのではなく、本来は、一つの世界です。しかし、人間が堕落により、霊的な無知に陥ってしまったので、地上生活しながら霊界が認識できなくなってしまいました。その後、死後に肉的五感を失い、霊的な五感が目覚めた時、認識できる世界を霊界と分けて考えるようになりました。

영계는 사후세계로 생각하는 분이 많겠지만 육신의 죽음 후에 오는 세계가 아니라 영적인 감성이 없으면 느끼지 않지만 존재하는 지상과 동일한 세계입니다. 영계가 전체를 뜻한다면 지상이랑 그 중에서 육안으로 볼 수 잇는 일부분입니다. 지상과 영계는 나눠져 있는 세계가 아니라 원래부터 하나의 세계입니다. 다만 인간이 타락해서 영적인 무지로 떨어졌기 때문에 지상생활을 하면서 영계를 느낄 수 없게 되었습니다. 그 후에 육신이 죽게 되어서 육신의 오감이 없어져서 영적인 오감에 의지 하게 되었을 때 처음으로 인식하게 되는 세계를 영계라고 따로 생각하게 되었습니다.

つまり、霊界とは、死後に訪れる世界ではなく、地上生活は、既に、霊界生活が始まっており、地上生活をどのように過ごすかにより霊界生活が決まってきます。多くの人は、地上生活を自己満足の為に生活しているかと思いますが、いくら、地上生活で自己満足しようと、霊界とは、関わり合いがないので、地上生活を自己満足のために生きていたら、霊界生活は、悲惨なものになります

즉 영계랑 육신이 죽음 후에 오는 세계가 아니라 지상생활은 벌써 영계생활이 시작했고 육신의 생활을 어떻게 보내느냐 따라서 영계의 생활이 결정이 납니다. 많은 사람은 지상생활을 자기 만족을 위해서 생활하지만 얼마나 지상생활을 만족했다 해도 영계와 관련이 없습니다. 지상생활을 자기 만족을 위해서 살게 되면 영계생활은 비참하게 됩니다.

霊界生活は、地上の肉体と同じように霊的な体である霊人体と言う霊的な体で生活するようになります。その霊人体は、地上生活によって成長するようになっています。霊人体が成長せず、肉体が死んでしまい霊界生活が始まるとどうなってしまうのかといえば、赤子が荒野に産み落とされると同じような生活が待っています。つまり、まともな霊界生活を送ることができません。まともな霊界生活を送るためには、地上生活において、霊人体を成長させるしかありません。

영계생활은 지상의 육신처럼 영적인 몸인 영인체라고 하는 영적인 몸으로 생활하게 됩니다. 그 영인체는 지상생활을 통해서만 성장하게 되어 있습니다. 영인체가 성장하지 않고 육신이 죽어버려서 영계생활이 시작하면 어떻게 되느냐 하면 애기가 광야에서 태어나 것처럼 삶을 살게 됩니다. 즉 좋은 영계생활을 할 수 없습니다. 제대로 된 영계생활을 보내기 위해서는 지상생활에서 영인체를 성장 시켜야 합니다.

重要なことは、地上の肉体が成長したからと言って、霊人体は成長するわけではありません。霊人体の成長は、地上の肉体を通してのみ、成長するようになっています。それは、地上の肉体が成長する要素と霊人体が成長する要素が同じではないので、霊人体の成長のために必要な要素を獲得しな限り、霊人体の成長は見込むことができません。

중요한 것은 지상에서 육신이 성장한다고 영인체가 성장하는 것은 아닙니다. 영인체의 성장은 지상의 육신을 통해서 되지만 육신이 성장하는 요소가 영인체가 성장하는 요소와 같이 않습니다. 제대로 영인체를 성장 시키는 요소를 받지 못하면 영인체는 성장하기 않습니다.

大事なことは、霊人体は、神様の真の愛を実現化することにより成長します。何故かといえば、霊人体が生活する世界である霊界とは、神様の愛の世界だからです。地上でいう、空気とか、食べ物は、霊界で言うと、神様の真の愛になります。つまり、地上生活で、神様の愛を実現することにより、霊人体に空気を送り、食べ物を与えることができるからです。

중요한 것은 영인체의 성장은 하나님의 사랑을 실현함으로써 성장합니다. 왜냐하면 영계랑 하나님의 사랑의 세계이기 때문입니다. 지상에서 육신이 살기 위해서 필요한 공기나 음식은 영계에서 하나님의 사랑입니다. 즉 지상생활에서 하나님의 사랑을 실현함으로써 영인체의 공기를 보내고 음식을 먹을 수 있게 합니다.

もし、地上において、霊人体を成長させずに霊界に行った場合は、永遠な時の中で、赤子のまま、飢えに耐え忍び生活するようになります。また、罪を犯した場合は、極寒や灼熱の地獄で永遠に生きるようになります。肉体の死後にそのことに気がつき、後悔したとしても、時すでに遅し、死んでからは、霊人体が成長することは難しく、自らの意思でどうにかすることはできません。

만약 지상에서 영인체를 성장시키지 않고 영계로 가게 되면 영원한 세계에서 갓난아기 모습으로 제대로 먹지 못하고 살게 됩니다. 그리고 죄를 지은 사람은 지옥에서 불이나 얼름 속에서 영원히 살게 됩니다. 육신이 죽음 후에 그 사람을 알게 되어도 이미 몸은 죽어서 영인체를 성장시키지 못합니다

整理すると、霊界とは、死後の世界ではなく、霊界と地上は、一つの世界です。地上生活は、霊界生活を準備する期間であり、霊界で生活する体である霊人体は、地上で神様の真の愛を実体化させることで成長する。霊界で、どのように生活するのかは、どれだけ地上において神様の真の愛を実現したのかで決まってくる。死後に霊人体を成長させることは難しく、地上において、肉身がある内に地上生活の目的を悟ることが重要です。

정리하면 영계는 사후의 세계가 아니라 영계와 육계는 하나의 세계입니다. 지상생활은 영계생활을 준비하는 기간이고 영계에서 생활을 하는 몸인 영인체는 지상에서 하나님의 사랑을 실현함으로써 성장합니다. 그리고 영계에서 삶의 질은 얼마나 지상에서 하나님의 사랑을 실현하는 정도에 따라서 결정이 됩니다. 사후에 세계에서 영인체를 성장시키는 것은 어려워서 지상에서 육신이 있을 때 지상생활을 목적을 깨닫고 사는 것이 중요합니다

霊界については、見えない世界なので、実感することが難しく、意識しないのが当たり前になりがちです。しかし、意識しないからと言って、関係性がないのではなく、正しく理解し、できる限り、地上生活で、霊界生活を準備することが重要です。地上生活でやるべきことは、神様の真の愛を実現するために貢献すること、即ち、創造目的を実現するために努力することによって、霊人体が成長し、地上においても、霊界においても神様の真の愛の中で生きることができるようになります。

영계에 대해서는 보이지 않는 세계이기 때문에 실감하기 어렵고 제대로 이해 하지 못하면 의식해서 살지 못합니다. 그러나 의식하지 않는다고 해서 관계가 없는 세계가 아닙니다. 영계에 대해서 제대로 이해하고 할 수 있는 만큰 지상생활에서 영계를 준비하는 생활이 중요합니다. 지상생활에서 해야 하는 것은 하나님의 사랑을 실현하기 위해서 공헌하는 것 즉 창조목적을 실현하는데 노력함으로써 영인체가 성장하게 됩니다. 그렇게 영인체를 성장하게되면 지상에서는 물론이고 영계도 하나님의 사랑 속에서 살 수 있게 됩니다.

1.どうやったら神様に出会えますか。 1.어떻게 하면 하나님과 만날 수 있을까요

多くの人が神様に出会いたいと願いますが、その願いを叶えることが難しく、悩んでいると思います。個人的な見解になりますが、同じ願いを持っている人にお役に立てれれば幸いです。

많은 사람들이 하나님과 만나고 싶어하지만 만나기가 어렵고 고민이 많다고 생각합니다. 개인적인 견해지만 같은 소원을 가지고 계시는 분에게 도움이 되면 좋겠습니다.

私も神様と出会ったことは、殆ど、ありませんが、数えきれないほど、サタンと戦いました。気がついた時には、サタンと戦うことが日常になっており、サタンに大切なものを奪われないように必死に生きてきました。サタンと戦う中で、いつも、神様にすがりながら生きてきました。神様が大切にしているものをサタンから守る戦いの中で、自分が向き合った世界を伝えます。

저도 개인적으로 하나님과 만난 경험은 별로 없지만 수 많은 사탄과 싸워왔다. 제 인생은 사탄과 싸우는 것이 일상이었습니다. 그 싸움 속에서 사탄한테 소중한 사람들을 빼앗기지 않기 위해서 살아왔다. 항상 공격하는 사탄에게 이기기 위해서 하나님께 많이 의지해 왔다. 제가 만났던 것은 하나님인지 아닌지 모르겠지만 하나님이 소중하게 생각하시는 것들을 사탄한테 빼앗기지 않게 지키는 싸움 안에서 제가 경험했던 하나님과의 만난 내용을 공유 하도록 하겠습니다.

質問:どうやったら神様に出会えますか。

질문: 어떻게 하나님과 만날 수 있을까요 ?

答え

神様に必要とされる人になれれば、いつかは、神様が訪ねてくるようになります。私が神様に出会ったのは、4歳に水難事故で死にかけた時です。事故で霊界の入口まで行った時、光の中の神様に出会いました。その時の神様は、何も語られず、ただ、光で包んでくださりました。その神様の愛の光で包んでくださったことが、強く、印象に残っています。

답:

하나님이 필요로 하는 사람이 되면 언젠가 하나님이 찾아오시게 됩니다. 제가 하나님을 만났던 것은 4살 때 물사고로 인해서 죽을 뻔했을 때 영계에 입구까지 갔다 왔을 때 빛 가운데 하나님을 만나게 되었습니다. 그 때 하나님은 아무말도 않으시고 오직 그 따뜻한 빛으로 저를 안아 주셨습니다. 하나님의 사랑의 빛으로 감사주셨던 느낌은 인상 깊게 남아 있습니다.

その時、私が出会った神様は、全知全能で、全てを所有している神様ではなく、ただ、愛する対象を探し、愛したいと願っておられました。勿論、姿は、見る事ができませんでしたが、愛してくださっていることを感じました。神様から愛されることにより、受けた愛を返したいと強く思いました。

그 때 제가 만났던 하나님은 전지전능하시고 모든 것을 소유하시는 하나님이 아니고 오직 사랑 할 수 있는 대상을 찾으시고 사랑하고 싶어하시는 모습이었습니다. 물론 모습은 보지 못했지만 사랑을 받았기 때문에 사랑을 돌려주고 싶다고 강하게 들었습니다.

その後の人生の中で、私が経験した神様に出会う方法は、神様を愛し、神様の愛で、神様を愛することにより、愛により出会う事ができます。そのような愛で生きた時に4歳の時に出会った神様の愛と同じ愛を感じることができます。目で見たり、聞いたりして出会うのではないです。神様と同じ愛の心情圏に入ることができれば、神様が感じている心情を常に感じる事ができます。

제가 경험 했던 하나님과 만날 수 있는 방법은 하나님을 사랑하고 하나님의 사랑으로 하나님을 사랑할 때 사랑으로 하나님을 만날 수 있습니다. 눈으로 보거나 들을 수 있어서 하나님을 만날 수 있는 것은 아닙니다. 하나님과 같은 사람의 심정권에 들어갈 수 있게 되면 하나님이 느끼시는 심정을 항상 느끼게 되어 있습니다.

正直、私が出会ってきた神様の心情圏は、天国のような幸せに溢れる心情圏ではありません。神様の心情は、どうすれば、地獄を解放する事ができるのか、どうすれば、人々が争わず、神様の愛で愛し合うことができるのかを悩み、苦しみ、悲しまれている心情圏です。神様は、常に、地獄で苦しんでいる人々と同じ心情圏で生きておられます。そのような神様に出会うたびに何とかして力になりたいと考えました。

솔직히 말씀 드려서 제가 만났던 하나님의 심정권은 천국처럼 행복이 넘치는 심정권은 아닙니다. 하나님의 심정은 어떻게 하면 지옥을 해방할 수 있을 것인가 어떻게 하면 사람들이 싸우지 않고 하나님의 사랑으로 서로가 사랑 할 수 있을 것인가 고민하시고 마음이 아파하시고 슬퍼하시는 심정권입니다. 하나님은 항상 지옥에서 어려워하는 사람들과 같은 심정권 안에서 살고 계십니다. 그런 하나님과 만날 때마다 어떻게든 힘이 되어 드리고 싶다고 생각이 들었습니다.

僕ができることと言えば、神様を慰め、励まし、慰労して差し上げることでした。常に、寂しく、悲しく、辛く、苦しい戦いばかりを続けてこられた神様に力になって差し上げたいと強く思いました。神様は、人々が理解しなくても、受け入れなくても、ある時は、送った子を迫害したとしても、常に、人類を愛し、導こうとされてきた方です。

제가 할 수 있는 것은 하나님을 의로하고 격려하는 것이었습니다. 항상 외로워 하시고 슬퍼하고 아프고 어려운 싸움만 계속 해 오신 하나님의 힘이 되고 싶다고 생각해 왔습니다. 긴 역사 속에서 하나님은 인류가 이해하지 않아도 받아들이지 않아도 하나님이 보낸 자녀를 박해 했을 때도 항상 인류를 사랑하고 이끌고 오신 분입니다.

そんな、人類とサタンの迫害を超えて勝利された神様の子女と共に神様の願いを実現しようと努力していれば、神様は常に訪ねて来られます。私が出会った神様は、とてもシャイなので、簡単には、お姿を見せられる方ではないです。また、多くのことは語られません。ただ、神様と同じ心情圏に入り、神様の願いを叶えるために貢献しているのであれば、常に、神様が共にあり、一緒に歩んでくださいます。

그런 인류와 사탄의 박해를 받아서도 승리하신 하나님이 보내신 자녀와 함께 하나님이 원하시는 세계를 현실화 하기 위해서 노력하고 있으면 하나님을 항상 찾아 오십니다. 제가 만났던 하나님은 많이 부끄러워 하셔서 모습을 보여 주실 분은 아닙니다. 그리고 많은 것을 말씀 안하십니다. 오직 하나님과 같은 심정권에 들어가서 하나님의 소원을 이루기 위해서 공헌하고 있으면 항상 하나님이 함께 하시고 같이 길을 걸어 주십니다.

まとめると、神様に出会う方法は、神様の真の愛で、神様を愛し、神様が愛することできる真の愛の実体になることです。そうすることで、神様の心情圏に入り、神様の心情を理解することで、神様が願う世界を実現しようと努力する中で、神様が共に歩んでいることを実感することができます。また、その出会いは、自らの心情に応える形で愛してくださります。神様の真の愛で、神様の代わりに天宙を愛そうとしたのであれば、神様は、真の愛で愛してくださいます。

長文になりますが、ここまで読んで頂きありがとうございます。参考になれれば、幸いです。

정리 하면 하나님과 만나는 방법은 하나님의 사랑으로 하나님을 사랑하고 하나님이 사랑할 수 있는 참사랑의 실체가 되는 것입니다. 그렇게 됨으로 하나님의 심정권에 들어가서 하나님의 심정을 이해함으로써 하나님이 원하는 세계를 실현하려고 노력하는 가운데 하나님이 함께 하시는 것을 실감할 수 있습니다. 그리고 그런 하나님과의 만남은 스스로의 심정에 응하는 방식으로 사랑해 주십니다. 하나님의 참사랑으로 하나님을 대신해서 천주를 사랑하려고 노력하는 사람이 있으면 하나님은 참사랑으로 사랑해 주십니다.