ウクライナ‐ロシア戦争が起きた背景と平和運動

ウクライナで起きている戦争の原因を知るためには、過去を再認識しなければなりません。何故かと言えば、この戦争の原因は、現在だけではなく、過去から続いてきた恨みにもあるからです。

ウクライナで戦争が起こった根本的な原因は、第2次世界大戦の時(1941年~45年)にドイツのナチスが、ソ連を攻撃し、起きた戦争による恨みが残っているからです。戦争が終わり長い歳月が経っても、まだ、この戦争により生じた葛藤と被害を受けた方々の恨みは、解かれておりません。

何故かと言えば、ドイツにより攻撃を受けて亡くなった多くのソ連の方々とその家族は戦争によって受けた被害を忘れていないからです。

戦争で生じた葛藤や恨みは、賠償金や謝罪だけでは、絶対に解かれません。

なので、ロシアは、ウクライナがNATOに入ろうとするのを反対し、ウクライナ政府をナチスと同じだというのです。プーチン大統領が戦争を起こしたのは、過去の戦争により生じた恐怖と憎悪を今でも持っているからです。

このような戦争により生まれた恨みをどのようにしたら解くことができるでしょうか。

それは、人間を中心として起こした戦争を反省し、神様の真の愛を実践した個人と真の家庭を探し出すことにより、可能となります。何故かと言えば、戦争は、神様の真の愛を知らない個人により起きたからです。

何故、神様の真の愛を実践した個人と家庭を探しださなければならないでしょうか。それは、戦争により犠牲になられた方々の願いが残っているからです。その方々が、戦争により、本人と家族を犠牲にしてまで守りたかったものは、本人の家族と国の平和です。

戦争により犠牲になられた方々は、自らの犠牲により作られた平和が維持されることを願っております。しかし、ウクライナ-ロシア戦争を見ていれば分かるように人間が作った平和は簡単になくなってしまいます。ならば、どのようにしたら永遠に維持することができる真の平和を作ることができるでしょうか。

それは、まさに、神様の真の愛を実践した国の平和です。神様の真の愛を実践した真なる平和を作るためには、最初に、神様の真の愛を実践した個人がいなければなりません。

神様の真の愛を実践した個人は、神様の子女となり、神様の心情と一つとなり、神様の真の愛を中心として心と体が一つとなった真なる人格者です。このような人は、神様の心情を知ることができ、真なる平和をなすことができます。

その次には、真の愛を実践した真の家庭が成さなければなりませんが、個人の努力だけでは、真なる家庭を作ることはできません。何故かと言えば、神様と人間が繋がるためには、神様の真なる血統が必要だからです。

全ての人類を神様に繋げることができる神様の真なる血統を持って、この地に来られた方は、まさに、人類の真の父母としてなられた文鮮明先生と韓鶴子先生です。

つまり、全ての人類が、真の父母がくださる祝福結婚を通し、真の父母様の真なる血統に繋がることができれば、真なる家庭をなす道が開かれるのです。

このように真なる人格者が祝福を受け神様の真の愛を実践した家庭を成すことができれば、真なる家庭になります。真なる家庭の中では、神様の心情を知ることができるので、真なる平和を成すことができます。

そして、家庭の範囲を超えて、人類が真なる平和を成すことができる道を開いてくださったのが、交体交差祝福結婚です。

何故かと言えば、この交体交差祝福結婚は、恩讐の国の人同士が結婚することにより、恨みを解くことができるからです。恩讐の国の人達が神様を父母として侍る家庭を成すことにより、お互いが相手の国のために生きることにより、過去の恨みを解いて真なる平和を成すことができます。

今、世界の各国におられる交体交差祝福を受けた家庭、そして、その家庭で生まれた子女の皆様こそが、真なる平和を成すことができる主人公です。過去の戦争により生まれた恐怖と痛みで始まった戦争を終息させるのは、恩讐までも愛する神様の真の愛しかありません。

私達が、恩讐まで愛する真の愛の実体となり、この戦争を終わらせるために叫ばなければなりません。叫ぶ内容は、単純に反戦ではなく、平和を実現させることができる平和運動です。神様の真の愛を実践した真の人格者となり、真の父母から祝福を受け、真の愛を実践した真の家庭を成すことが平和運動です。このような真の家庭を拡散させることで真の社会を作ることができます。

私たちが、神様を知らず、神様の真の愛を否定する人達に神様の実在と神様の真の愛を伝えていきましょう。そして、私たちが真なる人格者となり、真なる家庭となって、神様の真の愛で、戦争により犠牲になった方々を追悼し、愛し一つになりましょう。神様の真の愛の実践を通して葛藤と恨みを無くし、恐怖と憎悪により始まった戦争を終息させましょう。一緒に力を合わせて真なる平和を実現させましょう。

霊界特集6:個人的な霊生を成すための生き方

投稿の内容の動画です。

個人的な霊人体の成長について

個人的な霊人体の成長については、原理講論にも記載されてるが、具体的な霊人体の成長を実感している人は、多くはない。

何故、霊人体の成長を実感できないのか、それは、堕落により、霊的な無知に堕ちたので、霊人体を成長させる方法を知ることができなくなってしまったからである。

どうすれば、堕落により失われた霊的な知を取り戻し、霊人体の成長させることができるのか、個人的な見解をお伝えします。

【霊的な無知を克服する必要性】

霊的な無知がもたらす、一番の大きな障害は、神様の存在を認識することができないことである。何故かと言えば、神様は、霊的な存在なので、霊的に無知な人は、神様の存在を認識できないからである。

また、神様の存在を認識できない人は、神様が被造物を創造された目的を認識することも、理解することもできないのである。ここで認識すると言うことは、知識として、知ることを意味するのではなく、実際に創造目的通りに生き、創造目的を実体化することで得られる実感する事を意味するのである。

統一教会の祝福家庭は、祝福を受けることにより、神様から祝福を受けたので、霊的な無知を克服していると勘違いしている方々が多く見受けられる。しかし、実際に話を聞いてみると、常に、神様と疎通し、神様の心情と相対している人は、殆ど、見受けられない。

祝福とは、あくまで、神様からの愛であり、愛を受けたから、創造目的を完成したと考えるのは、拡大解釈である。祝福により、神様が愛することができる対象になり得る可能性が与えられたのは、事実である。しかし、それは、あくまで、神様の視点からの変化である。残念ながら、祝福を受けた後、自らの堕落性を克服していないのであれば、堕落人間と大して変わらないのである。

どうすれば、堕落性を脱いで、霊的な無知を克服できるのであろうか、それは、堕落により結ばれたサタンとの因縁を断つ必要がある。サタンとの因縁を断つことができれば、神様が愛することができる愛の相対圏に入ることができる。神様の愛の相対圏に入れれば、神様の生心から生素を受けることができ、自らの創造目的を認識し、理解できるようになる。それにより、霊的な無知を克服できるのである。堕落人間として、サタンと因縁を結び、サタンの主管下にある限りは、霊的な無知を克服できないのである。

【霊的な知の必要性】

祝福家庭を含めた全ての堕落人間は、神様の愛の相対圏に入ることができない。何故、堕落人間は、神様の愛の相対圏に入ることができないのか、それは、堕落人間は、サタンの主管下にいるので、神様が愛したいと望んでも、サタンが許さないのである。

祝福を受けたことにより、神様が愛することができる因縁は与えられたとしても、祝福を受けた後、自己中心的な愛を持っているのであれば、サタンは、自己中心的な愛を条件に主管するのである。

どうすれば、サタンの主管下から抜け出し、神様の愛の相対圏に入ることができるのか。それは、サタンと戦い、勝利することにより、堕落性を克服することで可能である。

どうすれば、サタンと戦えるのか、最初は、自らを神様の代わりに愛することである。自らを神の愛で愛する事ができれば、自らの堕落性を神様から与えられた創造性に変えることができ、神様の代わりに人類を愛することができるようになる。神様の代わりに人類を愛しながら、サタンに勝利することにより、サタンから主管性を取り戻すことができる。

このようにサタンに勝利できれば、自らに与えら得た創造目的を知ることができる。そして、どうやって、サタンが人類を主管してきたのか、知ることにより、サタンに勝てるノウハウを得ることができる。結果的に、霊的な戦いに勝利することで、霊的な知識と経験を得るのである。

【霊的な力の必要性】

サタンと戦い、勝利できる力を霊的な力と言う。この霊的な力は、自分だけのために使うのではなく、誰かを霊的に愛し、神様の愛に導くために必要なものである。残念ながら、我らが、持っている信仰では、霊的な無知は克服できない。また、信仰では、人類を神様の前に導くことができない。

サタンと戦い、勝利した経験を通し、霊的な力と知恵を持っている人は、サタンからも認識される存在になることで、昼夜を問わず、サタンから狙われる。しかし、サタンから攻撃されても、サタンと戦い勝利することにより、霊的な無知を克服し、霊的な知により、神様の前に人類を導くことができる。

霊的な力をもつことにより、サタンと戦い勝利できる確率が上がる。そして、神様の代わりに人類を愛することにより、神様が人類を愛している愛の理解できるようになる。神様を理解することにより、創造目的が知ることができ、霊的な無知を克服できるのである。霊的な力がある人は、神様が必要とされるので、自然に神様と意思疎通する時間が長くなる。

【霊人体の成長の必要性】

霊的な知と力を得ることにより、神様の愛の心情圏に立つことができる。神様を真の愛を理解することで、神様の真の愛の世界である霊界について、理解できるようになる。

人間が霊界で生活する体である霊人体とは、肉体の死によって、生まれる体ではなく、既に、地上生活しながら形成されている体である。どうすれば、霊人体が成長するのであろうか、それは、地上生活を創造目的通りに生きた肉心から生力要素が、神様から生素が与えられることにより成長するようになっている。

また、霊界は、死後に訪れる世界ではなく、地上生活において、既に、霊人体が住んでいる世界である。地上生活で、霊界を認識できないのは、霊人体が成長しておらず、霊的な五感を備わっていないからである。霊人体がある程度、成長しない限り、地上において、霊界を認識できる五感を得られない。

例えば、新生児レベルの霊人体であれば、言葉を発することや,物の事を認識できる能力が備わっていない。つまり、地上生活で、霊界を認識できないのは、幼児レベルまで至っていないからである。幼児になれば、言葉を発したり、物事をある程度、認識できるのである。

神様が人間を創造された目的は、人間の死後、神様の真の愛の世界である霊界で、永遠に愛を分かち合うためであった。つまり、霊界での生である霊生をなすために霊人体を成長させることが、地上生活の目的である。

地上生活において、肉体が成長したからと言って、霊人体が成長するために努力していないのであれば、霊人体の成長は見込めない。信仰では、霊人体は成長しないので、残念ながら、多くの祝福家庭は、霊人体が成長していない。勿論、祝福により、神様から愛された条件があるので、少しは、霊人体が成長しているが、それは、本人が努力する以上に神様が無条件的に愛された結果である。

【まとめ】

是非、地上生活において、霊界での生である霊生を成すために努力される方が増えることを願うのである。ここで言う、霊生とは、個人の段階であり、個人の段階の霊生をなすことができれば、次の家庭の段階の霊生を成すのに大きく貢献できるのである。

私は、幼い時、事故で、霊眼が開けてしまい、その後は、日常的にサタンと悪霊に襲われる生活を続けてきた。その中で、神様にすがり、神様を頼る中で、神様の悩みや苦しみを理解するようになった。まだ、神様の願いを十分に理解しているわけでないが、人類がサンタの主観下で、神様の愛の相対圏に立てていない現実がある限り、自分ができる範囲で、貢献するつもりである。

少しでも、サタンの主管下から逃れ、神様の愛の相対圏に立つことで、霊界での生である霊生をなすことができる人が増えることを願う限りである。

投稿を整理してプレゼン資料にしましたので、参考にして頂ければ幸いです。

霊界特集4:御言葉を分かりやすく読める方法

御言葉をわかりやすく読むことで、理解できるようにお伝えします。

【「真の愛」と言うパスワードを入れて読む】

御言葉は、「真の愛」と言うパスワードがかけられています。

真の愛がなければ、御言葉の意味を正確に理解することが難しいです。

何故、「真の愛」と言うパスワードをかけたのでしょうか。それは、自己中心的な愛により、御言葉を悪用したり、利用したりするのを防ぐ為です。それは、御言葉を奪おうとするサタンから、御言葉を守ろうとされた為です。

具体的に説明すると、「真の愛」と言う動機がなければ、御言葉の意味が理解できません。

例えば、「神様が人間を創造された」と言う御言葉があります。もし、自己中心的な愛で理解すれば、「私は、神様から創造された創造物だ、私は、神様から愛されるべきだ」と解釈します。

しかし、真の愛で理解すれば、「神様に人間は、創造して頂いたのに、堕落してしまって申し訳ない。人間始祖をサタンに奪われて悔しい、絶対にサタンから奪われたものを取り返す」と解釈します。

神様が人間を創造された目的は、神様の真の愛です。同じく、神様が被造物を創造された時の御言葉(ロゴス)も神様の真の愛が基準となり、作られています。

なので、その御言葉を正しく理解するためには、堕落により生じた自己中心的な偽りの愛ではなく、神様が被造物を愛したいと言う真の愛がない限り、理解できないようにできています。

このパスワードがかけられているので、サタンがオウムのように御言葉を語ったとしても、真の愛が動機になっていないので、効果が発揮されないようになっています。

また、堕落人間がいくら御言葉を語っても、何も起きないのは、御言葉を語る動機が、真の愛ではないからです。御言葉を利用し、相手を審判したり、追い詰めたりする人は、御言葉を語る資格がありません。

御言葉は、真の愛が動機になることにより、相手を癒し、救うことができます。そのように読めるようになれば、全ての御言葉を真の愛で語られたと言う事実を知ることができます。

【「神様の視点」から読む】

御言葉は、「神様の視点」でなければ分からないようになっています。

「神様の視点」がなければ、御言葉の意味を正確に理解することが難しいです。

何故、「神様の視点」がなければ、分からないようになっているのでしょうか。それは、自己中心的なサタン的な視点を持っている人は、御言葉を聞いても、理解できないようになっているからです。

具体的に説明すると、「神様の視点」と言う観点から見ないと、御言葉の意味が理解できません。

例えば、「人間が堕落した」と言う御言葉があります。自己中心的な観点で理解すると、「人間始祖は、罪人だ、だから、それから生まれてきた人は、サタンの子なのだ、だけど、自分は、神様を信じているから、自分だけは、救われるのだ」と解釈します。

しかし、神様の視点で理解すれば,「神様、申し訳ありません。できることなら、人間始祖の代わりに謝りたいです。許して欲しいのではないです。彼らの代わりに、サタンに奪われた全ての被造物を取り返すために全てを貢献したいです。」と解釈します。

神様が人間を創造された目的は、人間が真の愛の実体となることで、共に喜び合いたいと言う神様の視点です。同じく、神様が被造物を創造された時の御言葉(ロゴス)も神様の視点が基準です。

なので、その御言葉を正しく理解するためには、堕落により生じた自己中心的な堕落人間の視点ではなく、神様が被造物を愛したいと言う神様の視点がない限り、理解できないようにできています。

堕落人間は、神様の視点を理解できないので、御言葉を理解できないです。自らの堕落性を克服し、神様の視点で、誰かを愛そうと努力している人にしか、御言葉の意味を理解できないようになっています。

また、御言葉を自己中心的な視点で語る人は、人を傷つけます。御言葉は、神様の代わりに相手を愛すると言う視点がなければ効果が出ないようになっているのです。神様の視点が理解できるようになれば、全ての御言葉が神様の視点で語られたことを理解できるようになります。

【「真の愛」を実践して読む】

御言葉は、「真の愛」を実践しなければ分からないようになっています。

「真の愛」を実践した経験がなければ、御言葉の意味を正確に理解することが難しいです。

何故、「真の愛」を実践していなければ、分からないようになっているのでしょうか。自己中心的なサタン的な愛を実践している人は、御言葉を聞いても、理解できないようになっているからです。

具体的に説明すると、「真の愛」と言う動機ないと、御言葉の意味が理解できません。

例えば、「中心人物」と言う御言葉があります。自己中心的な観点で理解すると、「私は、中心人物なのだから、私が一番神様から愛されているのだ、私以外の中心人物として選ばれなかった人は、私に侍ることで、神様に繋がるのだ、神様は私だけを支援してくれる」と解釈します。

しかし、真の愛の実践が動機で理解すれば,「神様、こんな私が中心人物になって申し訳ありません。また、私以外の人が神様に導かれるように私ができる限りの精誠をささげ、他の人の僕として侍ります。最善を尽くしますが、私の堕落性により、他の人がつまずかないようにお守りください。」と解釈します。

神様が人間を創造されたのは、神様の真の愛の実践です。同じく、神様が被造物を創造された時の御言葉(ロゴス)も神様の真の愛の実践が基準です。

なので、その御言葉を正しく理解するためには、堕落により生じた自己中心的な堕落人間の愛の実践が動機ではなく、神様が被造物を愛したいと言う真の愛の実践が動機でない限り、理解できないようにできています。

堕落人間は、真の愛の実践を理解できないので、御言葉を理解できないです。自らの堕落性を克服し、真の愛の実践で、神様の代わりに誰かを愛そうと努力している人にしか、御言葉の意味を理解できないようになっています。

また、自己中心的な愛を実践しながら御言葉を語る人は、説得力がありません。御言葉は、神様の代わりに相手を愛すると言う真の愛の動機がなければ効果が出ないようになっているのです。神様の真の愛の実践が理解できるようになれば、全ての御言葉が神様の真の愛を実践され、真の愛で語られたことを理解できるようになります。

【まとめ】

御言葉は、真の父母が真の愛の実体となり、神様の代わりに真の愛を実践されて語られた言葉である。なので、御言葉の相対圏に入りたいのであれば、真の愛を理解し、真の愛を実践しなければならない。

膨大な御言葉を語られた理由は、神様が真の父母を通し、堕落により失われた御言葉(ロゴス)を地上に残したかったからである。そして、堕落人間の責任分担は、御言葉を実践し、真の愛を実践しながら、真の愛の実体化になることである。

そして、サタンと堕落人間に奪われた御言葉を取り戻していくことである。真の愛を実体化していない限り、サタンと堕落人間は、絶対に御言葉を返そうとはしない。何故ならば、サタンと堕落人間は、御言葉の前に、自らの存在意義と価値を失うと言うことを知っているからである。本来ならば、御言葉によって、主管を受けるべき存在であると言う事を知っているので、堕落人間が御言葉の実体になる事を妨害するのである。

堕落人間は、どうやったらサタンから御言葉を取り戻す事ができるだろうか。御言葉を取り戻すためには、死んでも構わないと言う思いを持たなければならない。何故か、それは、人間始祖は、御言葉を守らなければ、死んでしまうと言う御言葉を守れず、死んでしまった。つまり、死を超えて堕落した人間は、御言葉を取り返すために死んでも構わないと言う動機を持たなければならない。それは、堕落により引き継がれた自己中心的な生を放棄し、御言葉を中心とした生を決意しなければ、取り戻すことができない。

その死とは、肉体の死ではなく、自己中心的な偽りの愛を中心とした生を捨て、全ての人生を神様の真の愛で生きることを決意し、実践してこそ、サタンと堕落人間から御言葉の主人であることを認めてもらえるのである。

一人でも多くの人が、御言葉の主人となり、サタンの主管から、御言葉を取り返すことができるようになることを願います。