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サタンと堕落性に対し、戦い克服する方法

【疑問提起】

サタンが何であり、如何にして、サタンが人間を主管し、操って来たのか、サタンがどのような存在なのか分からない限り、対策を取ることはできない。サタンとは、蛇に比喩された天使長である。何故、善なる存在として創造された天使が、神様に反逆する存在になってしまったのか、それは、自己中心的な偽りの愛により、アダムとエバを騙し、アダムとエバが神様の子の立場から落とす為である。それは、天使長は、神様の僕であり、子であるアダムとエバを支援する立場であったのにも関わらず、自己の創造目的を離れ、神様の子の立場を奪おうとした過分なる欲望によってである。

アダムとエバの堕落により、人類は、神様の子としての立場を失ってしまい、偽りの主人であるサタンの僕の立場に陥ってしまった。人類は、神様の元に帰ろうとしても、人類の努力だけでは、神様の元には帰ることはできない。神様の元に帰る為には、失われた神様の息子である資格を持った人が来られ、その方の元で、サタンとの因縁を断ち切り、神様の息子としての資格を得るしかないのである。

神様の息子が誰であるのかについては、この場では、話すことは控えるとして、神様の息子の元で、堕落した子孫として生まれてきた人間は、どのようにして、サタンとの因縁を克服することができるのであろうか。

また、サタンとの因縁により発生した偽りの愛の習慣性を堕落性と称する。人間は、堕落性により、サタンの主管下から抜け出せずにいる。サタンとの因縁を克服することと同じように、堕落性を克服しない限り、人間は、神様の所有物ではなく、サタンの所有物として生きて行くしかないのである。

サタンが何であり、どのようにしてサタンと戦い、克服することができるのか、また、サタンが人間を主管する偽りの愛の習慣性である堕落性と戦い、克服することができるのかを調べてみることにする。

人間がいくら、神様の元に帰ろうと努力したとしても、サタンと堕落性が許しはしない。サタンは、自分の所有物であることを主張するだろうし、堕落性は、自己中心的な偽りの愛を捨てることを拒むだろう。何故、人類は、サタンと堕落性との戦いに勝利できないのだろうか、それは、サタンと同じ偽りの愛を中心に生きる限り、神様が干渉したいと思える対象にはならないからである。

先ずは、神様の愛の対象となる為には、サタンと戦い、克服することにより、サタンが神様から奪った所有権を取り戻す必要がある。

【目的】

神様の真の愛を中心として、創造本然の生活することにより、サタンが干渉できない人格者となる。

【目標】

サタンとの因縁と堕落性と戦い、克服することにより、堕落によりサタンが神様から奪った人間の所有権を取り返す。

【戦略】

サタンとの因縁は、自己中心的な偽りの愛により、血統的に結ばれた。なので、サタンとの偽りの愛の血統を克服する為には、神様を中心とした真の愛で、血統的に怨讐関係だった人を愛することにより、愛で怨讐を克服するしかない。

また、堕落性は、サタンが自己中心的な偽りの愛により、人類歴史の罪と習慣性を意味する。罪を償い、習慣性と戦い、克服しない限り、サタンは、堕落性を理由に人間を所有しようとする。堕落性を克服する為には、神様を中心とした真の愛の実体になることにより、サタンが干渉しないように生活するしかない。

【戦術】

サタンと堕落性と戦う方法は、サタンと堕落性をよく知ることが重要です。何故かと言えば、サタンも堕落性も見えない霊的な存在であるので、目に見えない霊的な存在を認識できる霊的な感性を育てる必要があります。

サタンは、偽りの愛を中心とした自己中心的な愛により、人類と血統的な因縁を結び、人類を所有してきました。人類は、堕落人間となり、サタンから堕落性を受け継ぎ、サタンを主人とした歴史を築いて来ました。

先ずは、サタンと堕落性と戦う為には、自分の中にあるサタン的な要素と堕落性を見極めることが重要です。サタン的な要素の代表的なのが、霊的な無知に陥っていることです。つまり、神様の創造物である人間が、神様が何故、人間を創造されたのか、創造目的が分かっていないことを意味します。この無知を克服する方法は、創造目的の通りに生きた創造本然の生活をすることで、サタンの主管下から神様の主管下に戻ることができます。堕落性の代表的なのが、サタンの偽りの愛により発生した自体自覚を意味します。自我は、自分を中心として、他人を認識します。この自我を克服する方法は、神様を中心とした創造目的を中心とした他体から自覚することにより、自分の中にある神様の愛や希望である創造目的を感じることにより、創造本然の生活することで、サタンから讒訴されなくなります。

【現状】

地上の本来の主人は、神様である。しかし、人間が堕落することにより、人間は、神様の子女の立場からサタンの僕の立ち場に落ちてしまった。地上において、サタンとの因縁を断ち切り、神様と直接、意思疎通できる人は、殆どいない。

何故かと言えば、人類は、サタンに主管されており、サタンを主人として生活している。また、サタンとは、何であるのかを理解していないので、サタンと向き合えないし、どのようにしたら、サタンの主管下から抜け出せるのか知らない。

サタンの主管から、神様の主管に移る為には、人間がサタンとの因縁を切り、神様の主管下に戻って行く必要がある。人類歴史は、サタンの主観から神様の主管へ戻る為の復帰歴史であり、神様は、より善の側が勝つように導いて来られた。今でも、サタンと神様の戦いは、継続されており、神様の願いがわからない限り、神様の側には、立つことができない。

【課題】

それでは、サタンと戦い、克服する為には、どのようにしたら良いのであろうか、それは、神様とサタンがどのような戦いを行ってきたのかを知る必要がある。サタンと神様との戦いは、実体世界の戦いを進める前に、中心人物を立てて、進められる。その中心人物は、どのように選ばれるのかと言えば、中心人物が持っている愛の程度によって、神様側に着くのか、サタン側に着くのかが決まってくる。神様側に着く人は、神様の真の愛を実践し、実体化している人であるのは、勿論、神様の願いを理解しており、また、神様と意思疎通が可能であり、神様の願いを実現する為に努力する人である。

また、サタン側の中心人物とは、サタンの偽りの愛を中心とした自己中心的な愛を持った人である。神様側の人は、このサタン側の人を神様を中心とした真の愛で愛し、サタン側の人が、神様の真の愛を実践できるように導く使命がある。サタン側の人が、神様の愛に触れることにより、自然屈服するこにより、神様の願いが実現されるのである。つまり、サタンを克服されることができるのは、真の愛を実践し、これ以上、サタンが干渉することができないようになる必要がある。多くのサタンを克服させることで、神様の中心人物となり、神様が信頼し、愛してくださる人物になれるであろう。

【改善】

サタンを克服させる為には、真の愛を実践すれば良いと言うことは分かった。しかし、サタンは、簡単には、人間の主管を放棄しない。つまり、サタンを克服させる方法は、よりサタンが嫌がる生き方をすれば良い。

サタンが嫌がる生き方とは、自らを犠牲にし、真の愛を実践する人である。例を挙げれば、母親が子供の為に、自らを犠牲にし、乳をあげるのと同じである。また、愛を受けた相手が、受けた愛を通し、神様を感じることができるような愛を意味します。愛しても、忘れ、また、愛することができ、見返りを求めない愛です。そのような愛の実体になることにより、サンタが嫌がり、干渉してこなくなります。

また、サタンの偽りの愛を中心に作られた罪の歴史を精算する為に貢献するのであれば、サタンがとても嫌がります。例えば、韓国と日本が戦争した歴史があります。普通の人であれば、恨みを持っているかと思いますが、神様の愛から見れば、愛しうべき存在であり、共に、過去を精算し、未来には、恨みのない世界を作る為に貢献するのであれば、サタンが干渉してこなくなります。

【効果】

サタンからの主管下から、神様の主管下に移る為には、サタンから神様の主管である称号を受ける必要があります。それは、怨讐を愛し、克服することができたのかどうかにあります。怨讐とは、自分を攻撃してきたり、自分を恨む存在を意味します。怨讐に対し、憎しみで、相対するのではなく、神様を中心とした真の愛で、怨讐が真の愛により満たされ、怨讐関係を克服することにより、解消されます。

怨讐を真の愛で、克服すれば、サタンは、それ以上、追求することができず、主管権を放棄します。怨讐関係の1番最初は、心と体の関係であり、心は、体の為に、体は、心のためにいきることにより解決します。いつも、心が不安であったり、体が不安であるのであれば、それは、心と体が、神様の真の愛で、一つになっていないのであり、神様の真の愛が満たされているのであれば、心と体は、希望に溢れ、幸せを感じることができます。

【結果】

地上において、サタンが干渉したがらない。真の愛の人格者になれば、神様の代わりにサタンと戦う、中心人物となります。勿論、サタンとの戦いは、地上のみではなく、霊界でも、戦いが続くので、霊界での戦いは、天上地獄が解放されるまで、サタンとの戦いは継続されます。天上には、地上で、多くの罪を犯した先祖達がおり、先祖達の罪により、地上にいる後孫達も地上地獄の中で生活しています。

地上にいる後孫達が、先祖達の罪を悔い改め、罪により発生した恨みの連鎖を断ち切るために貢献してこそ、地上がサタンの主管下から、神様が干渉したいと思える世界へと変わっていくことができます。

【結論】

地上が、神様が望んだ世界でなく、サタンが願う世界になってしまったのは、人間始祖が、神様の真の愛ではなく、サタンの偽りの愛をを選び、神様の子女の立場から堕落し、サタンの僕の立ち場に落ちてしまったからである。その為、サタンの主管下に置かれた人類は、罪を繰り返し、怨讐関係を構築した歴史を作ってきた。

また、サタンの実体に対しても無知であり、サタンが人間を主管する上で、サタンの属性を引き継いだ習慣性である堕落性についても理解していない。例え、人類が、神様の元に帰ろうとしても、サタンが主管権を主張し、また、人類もサタンの堕落性を克服していないので、神様が主管したいと思える存在にはなっていない。

サタンと戦うためには、霊的な存在であるサタンを理解し、同じく、霊的な力である愛の力でしか、立ち向かうことはできない。サタンは、自己中心的な偽りの愛により、相手よりも、自分に利益になるように願う。なので、サタンを戦う為には、神様を中心とした真の愛で、自らが犠牲になったとしても、相手のために生きる愛を実践するしかない。真の愛を実践することで、サンタが干渉したいとは思えず、サタンに神様の主管であると言う事を認めさせることができる。

サタンから神様の主管であると認めさせることができれば、神様の代わりにサタンが主管してきた罪と恨みの歴史を精算するために貢献する必要がある。サタンが人間を主管する際には、堕落により発生したサンタの属性を習慣的に受け継いだ堕落性で主管する。堕落性を脱ぐためには、神様を中心とした真の愛の実体となり、過去の恨みを愛で克服し、怨讐関係から家族のような関係になることである。そうなれば、これ以上、恨みの歴史ではなく、人類一家族になるために共に力を合わせる強力関係になることができる。

地上からサタンの主管権と、サタンの属性である堕落性を克服することができるようになれば、神様が主管したいと思える世界になることができる。神様の真の愛を実体化した人格者となれば、神様が主管したいと思える世界を実現するために努力し、地上だけでなく、天上のサタンの主管権までも、地上で解放することにより、天上でもサタンとの戦いに勝利することができる。

サタンとの戦いは、人生の目的でもあり、勝利することが、人生の目標でもあります。また、霊界に行っても、サタンとの戦いは、継続しており、霊界のサタンは、地上で勝利することで、解放することが可能なので、できる限り多くのサタンと戦い、克服することで、霊界での戦いを少なくすることができます。

サタンの主管権から、神様の主管権に人類が戻ることにより、神様が直接主管できる地上天国が実現し、その中には、サタンが干渉できる要素がないので、罪や恨みとは、関係のない世界になり、神様の喜びが溢れる世界になると思います。そのために少しでも貢献できるように願う限りです。

コンテンツを理解したからと言って、サタンと堕落性に対し、戦い克服するできる訳ではありません。「サタンと堕落性」と言う問いに対し、答えるを見つける為のアクションステップを下記を参考に考えてみてください。

サタンと堕落性に対し、戦い克服する為のアクションステップ

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霊界の実体と地上生活

【地上生活の目的と霊界生活】

多くの人が、「生きる目的」とは何かを探しているが、見つけることができず、死んでもなお、見つけることができず、苦しみ続けている。多くの人達が、悩み、苦しみながら、生きているが、死への恐怖を取り除けた人は、殆どいない。

それは、生きている目的は何なのか、死んだらどうなるのか、死後の世界は実在するのかについて、答えが出ていないからである。死後の世界がどうなっているのか、死んだらどうなるのか、分かっていない。生きている目的は何なのかを探求する為に、人類歴史は、宗教を作り、死と向き合って来た。しかし、宗教を信じる人たちの中で、死の恐怖から解放された人は多くはない。

どうしたら、死の恐怖から人類は解放されるのであろうか、それは、生きる目的、死とは何なのか、死後の世界とは、いったいどんな世界なのかを知る必要がある。それにより、死と向き合い、死を受け入れることにより、死を乗り越えることができる。

死と言う概念は、二つある。一つは、肉体の死を意味する。もう一つは、神様との関係性が切れていることにより、神様の目から見たら、認識され難い存在になってしまった霊的な死である。神様の目から見たら、人間は、認識することが難しく、殆ど、死にかけているのである。

神様から見れば、人間は、サタンとの偽りの愛により、堕落し、創造目的から外れてしまった。創造目的通りに生きることが、生きていると言うのであれば、死んでいると言っても、過言ではない。しかし、神様の愛で創造されたので、創造目的から外れた死にかけた存在で合っても、諦めることができない。親不孝な子供であって、親は、いつかは、親の心情を理解し、親の元に戻ってくることを願うように神様も同じである。自ら、神様との関係性を切って、死を選んだ人間が、死を克服し、創造目的通りに生きて、神様の前に戻ってくることを願っているのである。

ここでは、神様の創造目的から離れ、神様の元に帰れなくなったことを霊的な死と説明する。また、肉体が死ぬことを肉的な死と説明する。本来、創造目的通りに生きる事ができていない人間は、肉的にも死んでいると表現する。霊的な死を克服し、肉的な死の意味を理解することにより、神の創造目的通りに霊肉共に生きることができる。霊肉共に死の恐怖から解放されることにより、生きる目的が分かる様になり、死後に訪れる世界である霊界について、理解し、準備することができる。

また、霊界と言う世界が、死後に訪れる世界ではなく、地上と表裏一体の世界であり、無形だが実在する世界の無形実体世界である。地上人達が霊界を認識できなくなったのは、霊的な死により、神様との関係性が切れてしまい、霊的な感覚が育っていない為、認識できないのである。霊界は、神様の真の愛の世界であり、地上で、神様の真の愛の実体になることにより、いつでも、霊界を感じることができ、霊界が死後の世界ではなく、常に、実在する世界であることを認識することができるようになる。

このように、肉体の死の恐怖を超え、霊的な成長を促し、霊界について、常に感じ取ることができるようになるように願う限りである。そうすれば、神様の願う創造本然の地上生活が可能であり、創造目的を果たした人間が霊界により、神様の愛の中で、永遠な幸せを感じることができる。

【目的】

神様の真の愛を中心として、霊人体の死と、肉体の死の恐怖を克服する。神様の真の愛を実践することにより、常に霊界を実感できるようになる。霊界を実感し、霊界での生活である霊生を基準にした地上生活を実現する。神様の創造本然の生活をすることで神様の個人的な創造目的を実体化する人格者となる。

【目標】

死の恐怖や霊的な無知をもたらしたサタンと堕落性を戦い、克服する。肉体の死の恐怖を克服する。霊界を実感する。霊的に神様と出会う。神様が願われる地上・霊界生活を実現する。個人的な創造目的を実体化する人格者となり神様を喜ばせる。

【戦略】

人間は、死の恐怖から解放されていない。それは、死後に肉体を脱いで生活する霊界に対し、無知であるので、霊的な無知による恐怖がある。また、サタンと主従関係にある人間は、神様との関係性が切れており、神様との関係性が切れているので、霊的な命が乏しい状態である。簡単に説明すると霊的には、ゾンビや良くて、幼児である。このような状態では、例え、地上で神様の為に生きたと考える人でも、良くて幼児であり、神様を認識することは難しい。もし、地上で神様との因縁を持てなければ、ゾンビのような生活を霊界ですることになる。

肉体の死の恐怖を克服する為には、サタンとの関係を切り、神様との関係性を構築することが必要である。神様と真の愛の関係性を構築し、神様の愛の世界である霊界に対し理解できるようになる。地上で真の愛の実体である真の人格者になれば、霊界の実体をリアルタイムで実感することができるようになる。

【戦術】

霊界を感じることができるようになる為には、先ずは、神様との真の愛を結ぶ必要がある。真の愛を結ぶのは、血統的な因縁を意味する。つまり、自分の血統の中に入り込んでいるサタンとの血統的な因縁と戦い、克服する必要がある。

例えば、過去に殺しあったり、奪い合った先祖達がいたのであれば、それを解く為に努力しなければなりません。例えば、戦争を起こした国の人が仲良く過ごすのは難しいのは、本人達の努力よりも、先祖の因縁が解放されていないので、仲良くすることが難しい。常に、神様や霊界を感じ、神様を愛する生活ができていないのであれば、先祖や本人の功績が足らず、争いの歴史を精算できていないからである。

自分自身の心と体の矛盾性は勿論、先祖達の争いの歴史を精算する為に貢献するのであれば、神様が愛したいと思える人格者になれる。

【現状】

霊界は、神様の真の愛の世界である。しかし、霊界で神様の真の愛が常に届くのは、天国ぐらいであり、それ以外は、神様の真の愛とは、程遠い世界である。何故かと言えば、過去に起こった人類の争いの歴史により、サタンを中心とした偽りの愛で生きた人は、神様の前に出るのが恥ずかしく、自ら神様と距離を置き、暗く、厳しい環境を選ぶのである。

また、地上において、霊界に対しての無知や死の恐怖から解放されないのは、地上において、神様の真の愛を実践していないので、霊的な感性が成長しておらず、霊界を感じることができず、無知による恐怖から解放されないからである。例え、霊界を知ったからとしても、先祖達の罪が精算されていないのであれば、死後に行く世界が悲惨なものであるので、同じく、死を恐れ、宗教等を通し、先祖の罪を償う為に努力するのである。

【課題】

神様が愛せる人類がいない理由は、人類は、神様の主管下におらず、サタンの主管下で生活しているからである。何故かと言えば、人類歴史は、常に、サタンの主管され、罪を犯して来た歴史なので、血統に残された罪の歴史を精算する為に努力しない限り、神様が愛したいと思える人は存在しない。もし、神様が愛そうとされたとしても、自分の血統的な罪の大きさを知ったら、恥ずかしく、神様の前に出ることはできない。

人類がサタンの主管下で、偽りの愛を中心に生きている限り、神様の真の愛の世界である霊界に対し、知る術は持っていない。もし、知ろうと努力したとしても、サタンが血統的な罪を条件に邪魔してくる。先ずは、自分の中の血統的な罪を精算し、サタンの偽りの愛の主管下から抜け出さない限り、霊界を知ることも、霊界を実感することもできず、神様の真の愛には触れることもできない。結果的に霊的な生を実感できないので、肉的な死の恐怖から解放されない。

【改善】

どうすれば、死の恐怖から解放され、霊界の実体を実感することができるのでしょうか?それは、サタンの偽りの愛の主管下から、神様の真の愛の主管下になる必要があります。それは、サタンとの血統的な因縁を絶ち、神様を中心とした血統的な因縁を持つしかありません。

サタンとの血統的な因縁とは、なんでしょうか?それは、自分自身の中にある自己中心的な偽りな愛を中心として構築された価値観や習慣性を意味します。また、サタンの偽りな愛の主管下にいたので、歴史的に構築された文化、風習を意味します。

先ずは、神様の愛を中心にした価値観や習慣性を構築します。それは、自分を中心としたものではなく、神様を中心として生きることを意味します。

具体的には、常に、神様のことを愛する生活しているのかと言う意味です。神様は、今現在も、地上において、争いにより奪われている命を悲しまれていらっしゃいます。悲しみの神様を慰労し、どのようにしたら人類を神様の前に導くのか、神様と一緒に悩んでみてください。神様は共に悩み、苦しみ、悲しんでくれる人を求めています。自分が幸せになりたいから神様を探すのではありません。神様を幸せにすることが、自分が生きる目的であり、生きる価値であり、生きる意義である。神様の幸せを常に感じることができれば、その人は、それ以降は、死の恐怖も悲しみもなくなるはずです。

【効果】

神様の真の愛の実体になることができれば、地上生活の中で、霊界を感じとることができ、霊界で生活する体である霊人体を実感できます。そのような感覚を持った人は、地上生活は、霊界での生活である霊生を準備するための期間であり、神様の真の愛の世界である霊界において、神様からのより近い場所で生きる為に努力するようになります。神様からより近い場所で住む為には、地上において、神様を悲しませている地上地獄をなくすためにどれだけ貢献したのかが評価される。

【結果】

地上において、神様の真の愛を実体化させ、神様の真の愛の人格者となれば、神様の代わりに代わりに神様の愛を地上に伝える中心人物となる。

また、神様の真の愛の実体になることにより、霊界と意思疎通することができるようになり、霊界の実体を地上に伝えることができ、地上と霊界を繋げる架け橋となることができる。

地上生活は、霊界での霊生のための準備期間であると認識するようになれば、物欲を満たす為に全てだと考える価値観の人たちを本来の生の目的に導くことができます。それにより、サタンの主管下で、争いを繰り返す地上地獄を解放し、神様を喜ばせることができる。

【結論】

人間が死の恐怖から解放されないのは、神様との関係性が切れてしまい、死後に迎える神様の愛の世界である霊界に対し、感覚を育てることができず、無知による恐怖から来るのである。

地上で霊界を感じる為には、神様の真の愛を地上で実体化することにより、霊界を感じることができるようになる。地上生活は霊界での生活である霊生を意識し、生活できるようになる。地上生活で、神様の真の愛をどれだけ実現したのかにより、霊界での生活する場所と水準が決まる。

地上は、サタンの主管下で、争いに明け暮れた歴史を繰り返して来た。地上には、サタンが蔓延っており、神様が安息されることができない。また、歴史上も争いを繰り返し、怨讐を増やして来た。このような、血統的に受け継いで来たサタンとの因縁を絶ち、神様との因縁を結ぶ為には、地上において、神様の真の愛を実践し、実体化するしかない。

地上において、神様の真の愛の実体になる為には、地上にあるサタンの主管下にある地上地獄を無くす為に貢献する必要がある。例えば、過去の争いにより、怨讐関係になってしまった、個人や家庭や国を真の愛により、解放して行くのである。具体的には、韓国と日本は、戦争により怨讐関係になったが、お互いが力を合わせ、世界平和の為に貢献するのであれば、怨讐ではなく、神様を中心とした兄弟姉妹の心情を構築することができる。

地上生活が、霊生のための準備期間であることを知れば、物欲を満たす為に争うことはなくなり、地上地獄を解放し、地上天国を実現する為に努力するようになる。このように地上天国を実現する為に貢献した人が行く世界が天上天国であり、神様の真の愛の中で、永遠な幸せを感じながら生活することができる。

神様が悲しまれる地上地獄をなくし、神様が喜ばれる地上天国を実現する為に貢献することにより、神様の代わりに神様の愛を実現する人格者となり、神様の喜びの対象となる。

神様の真の愛の中で生活する人は、霊的な死を克服し、肉的な死の恐怖から解放される。また、地上において、霊生を意識しながら、生活することで、地上・天上地獄を地上・天上天国に変える為に貢献するようになり、神様を喜ばせることができる人格者になることができるように願う限りである。

コンテンツを理解したからと言って、霊界の実体と地上生活できる訳ではありません。「霊界と地上界」と言う問いに対し、答えるを見つける為のアクションステップを下記を参考に考えてみてください。

霊界の実体と地上生活の為のアクションステップ

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心と体の統一のための真の愛の実践

【疑問提起】

人は、心が願う通りに体が動かなければならないとか考えながら、常に、体が願うように行動し、心が傷ついて来た。

何故、このような矛盾性が発生してしまうのか、それは、心も体も一つの目的に沿って、向き合っていないからである。更に、一つになれない理由は、心と体は、自己中心的な偽りの愛により、お互いが利用し合い傷つけ合う怨讐関係になっているからである。

一つの目的とは、神を中心とした真の愛で心と体が一つとなることを意味する。また、一つになろうとする原動力は、真の愛の力である。

それは、心と体との関係性と同じように心と霊的な世界で生きている体である霊人体とも、同じ関係性を持っている。更には、霊人体と神様の心である生心との関係性も同じである。つまり、人間と神様との間には、繋がりはあるが、正常に繋がっていない。

人類は、神様との関係性を構築しようと努力して来たが、どのようにしたら、神様との関係性を構築できるのか、方法が分からず、宗教等では、修行等を行い、体を打ち、心の声を聞こうとするが、それでは、神様の声も、心情も理解することはできない。

心と体を一つにする方法は、体と心、心と霊人体、霊人体と生心が繋がる必要がある。つまり、神様の真の愛を中心として、お互いが為に生き、合成一体化することにより、お互いが繋がり合うことにより、一つの個体のような関係性を構築することができる。

究極的には人間は、神様の心と一つとなり、神様の願いや思いを常に感じ取ることができるようになる。

このように神様の心情が常に感じ取ることができる人間は、神様が悲しまれる堕落行為をする訳がなく、神様が願われる人類一家族世界を実現する為に常に生活するようになる。

それでは、その為には、どのような生活をするべきなのか、調べてみることにする。

【目的】

神様の真の愛を中心として、心と体が一つとなり、その心と霊人体が一つとなり、霊人体と生心が一つとなり、神様の心情を実体化する人格者となる。

【目標】

体は、心のために、心は霊人体のために、霊人体は、生心の為に生きることにより、神様の心情を理解し、神様の愛を地上で実現することができる人格者となり、堕落によりサタンに奪われた神様との心情的な繋がりを復帰する。

【戦略】

人間が神様の心情を感じるようとしても、普通は、感じる事ができない。何故かと言えば、殆どの人間は、心と体の関係性が主従関係で成り立っているからである。心と体の関係性は、主従関係ではなく、愛の対象として、お互いが神様の真の愛を実現化することを目的に一つになるための愛するべき対象なのである。

つまり、心は、体のために、体は心の為に生きるべきであり、お互いが神様の前に相手を導く為に努力して支え合うことにより、神様が喜ばれる心と体になる事ができます。それは、神様の真の愛の実践により可能となります。

【戦術】

心と体が神様の真の愛により、一つとなる方法は、お互いが創造目的の為に生きる事を意味する。簡単に言えば、心は、神様の心に似るように生活する事。体は、神様の体のように生活することを意味する。

宗教人達は、よく体を打つことにより心の声を聞こうとしますが、心の本当の声は、体の苦しみを超えることにより聞こえてくるのではない。

心は、神様を愛することができないことを何よりも嘆いている。同じく、体も神様を愛することができないと嘆いている。つまり、心と体は、神様を愛すると言う共通の目的を持っており、その目的の為に、心は体のために、体は心の為に生きることで一つになれる。神様の真の愛の対象となる為にお互いが支え合うことで、自然と一つとなる。

【現状】

心と体が一つとなった人は、あまり会った事がない。何故かと言えば、神様を愛し、神様の代わりに人類を愛そうとされる人でない限り、心と体は一つにならないからです。

何故かと言えば、人間は、神様の愛を拒み続け、神様の愛も信頼も裏切り続けて来た。これだけ、裏切りを繰り返し、利用され続けて来た存在を簡単に愛することはできるか。いくら、神様が愛の方であると言っても、人類歴史は、偽りの愛により、心と体が奪い合い傷つけてあって来た。そのような関係性しか構築できていない、心と体に神様が愛したいと思える存在とは思えません。

【課題】

先ずは、神様を愛している人があまりにも少ないです。そして、愛そうと努力していても、その愛が神様の真の愛とは、程遠いので、神様が愛することは難しいです。

何故かと言えば、神様は、自己中心的な心である邪心とは、相対関係を結ばないからです。自分のために神様を利用しようとする人が、何を願っても、神様が相対しないのは、神様が相対できる条件を満たしていないからです。

心と体が一つになる為の最低条件は、心の中に自己中心的な愛の要素をなくす必要があります。神様を無条件で愛したいと心から思う必要があります。自分を愛する以上に神様を愛したいという思いのみ、神様と相対的な関係を結ぶことができる。

【改善】

どうすれば、心と体を一つにすることができるのでしょうか。それは、先ずは、心と体を創造本然の姿にすることから始める必要がある。

心の創造本然の姿とは、なんでしょうか。それは、神様が人間に対して愛される愛は、親が子供に対し、愛する親の愛であり、それに対し、子供である人間が、子女の愛で、答えているのかと言うことになる。

つまり、心で親である神様に対し、産んでくれてありがとう。創造してくれてありがとう等の愛情を返しているのかと言う意味です。そのような基本的な親子のコミュニケーションができていないのであれば、心と神様との関係性を構築することはできません。

また、体についてですが、心と同じように、心を神様と愛情で繋がるようにサポートしているのかになります。体の目的は、心を神様の前に導く為にある。なので、神様が喜ばれる心の状態を常に維持できるように努力する必要がある。つまり、心が神様を愛することができるように愛情で満たされるように支援することが大事です。具体的には、自分以外の存在を神様の愛で、神様の代わりに愛することにより心に愛のエネルギーを注入することを意味します。神様の代わりに人類を愛することにより、愛された人類が、貴方を愛で神様に導いてくれると思います。

【効果】

神様の愛を中心に心と体が一つになれば、真の愛の実体になることができ、それにより霊人体を成長させることができます。このように霊人体が成長した人は、他の霊人体を神様の前に導くことができるようになる。それにより神様から愛されることができる存在になることができる。

【結果】

心と体が一つとなり、霊人体が成長した人格者は、神様の喜びの対象となることは、勿論ですが、神様が愛したい対象である人類を神様の愛で愛する中心人物となる。

それは、悲惨な人類を見られている神様を慰労し、神様を励まし、激烈し、神様を悲しみの牢獄から解いて差し上げることができる人です。神様と心情が通じると言うのは、人類の悲惨な歴史を見てこられた親なる神様の悲痛な心情を理解し、神様の代わりに人類を愛することで、一人でも多くの人類を神様の心情に繋げることができる人を意味する。

【結論】

人間の心と体が戦う矛盾性を持っているのは、心と体が一つになる為の目的を見つけられていないからである。また、心と体がお互いが自己中心的な愛により、お互いを利用しようとするのであれば、一つになることはできない。

心と体が一つになる為には、神様の真の愛を実現すると言う共通の目的を持つ必要がある。また、お互いが共通の目的の為にお互いが支え合う真の愛の関係を構築する必要がある。

体は心の為に、心は霊人体の為に、霊人体は、神様の為に生きてこそ、神様の真の愛が、霊人体に繋がり、霊人体が心と繋がり、心が体につながることができる。それにより、神様の真の愛を感じ、真の愛により、一つの存在として認識できるようになる。

心と体を一つにする為には、人類歴史の中で、神様の心情を裏切り、心と体が怨讐関係となり、傷つけあって来た歴史を精算するしかない。また、人間を愛し、愛されることを願っておられる神様の心情が、傷つき、悲しまれたことに対し、心から慰労し、寄り添うことが必要である。

神様の心情を理解することにより、神様がどれだけ長い期間、一人で耐え、苦しみ、悲しみ、望んで来たのか、知ることができる。そして、神様がどれだけ愛する対象を待ち望んで来たのか、知ることができる。心と体が一つになった対象は、神様が愛することができる対象となることができるので、神様の真の愛を受け、そして、その愛を与えることができるようになる。神様の真の愛を実践することにより、霊人体が成長し、霊人体が成長することにより、より神様の心情を理解することができる。霊人体が成長することにより、霊界に行ったら、神様と心情的に近いところで住むことができる。

これが、地上生活における心と体の役割であり、霊人体の成長具合により、神様と心情的な因縁を回復し、神様を喜ばせることができる人格者となることができることを願う限りである。

コンテンツを理解したからと言って、心と体の統一のための真の愛の実践できる訳ではありません。「心と体の統一」と言う問いに対し、答えるを見つける為のアクションステップを下記を参考に考えてみてください。

心と体の統一のための真の愛の実践する為のアクションステップ

神様と人間との関係性の構築

【疑問提起】

多くの人は、神様と意思疎通ができたら良いと考えるが、殆どの人は、神様の存在さえ、認識できず、意思疎通ができない。その理由は、神様との関係性が構築されていないからである。何故、神様と人間の関係性を構築できていないのか。それは、人間始祖が神様との関係性を自ら放棄し、サタンとの関係性を選んだからある。その後、人類は、神様との関係性を構築できず、サタンと意思疎通してきた。

聖書には、アダムとエバが、善悪を知る木の実を取って食べたことが堕落と記されている。詳しく説明すると、善悪を知る木の実とは、エバの愛を意味する。つまり、神様を中心として、愛を実体化しなければ、ならなかったエバが、蛇(天使長を比喩)の自己中心的な偽りの愛を中心として、愛を実体化してしまい。そのエバとアダムが愛を実体化してしまった。結果的に神様の所有物から、堕落した天使であるサタンの所有物に堕落しまったからである。

つまり、神様が人間を捨てたのではなく、人間が神様を捨てたのである。堕落により失われた関係性を取り戻すためには、人間が神様との愛の関係を再構築する必要がある。その為には、人類は、失われた神様からの信頼を回復するため宗教を通し、神様との関係性を構築しようと努力してきた。

しかし、宗教だけでは、神様との関係性を構築することはできない。何故かと言えば、宗教は、個々の信仰だけを重要視し、神様の願いを理解していないからである。神様の願いは、神様の代わりに人類を愛することであるが、宗教がそれを実現化できていない。現在の宗教は、宗教を超え、神様の愛を実現する社会運動となり、社会を神様の前に導く責任がある。宗教の究極的な目的は、神様の愛を実現し、神様を中心とした人類一家族世界を実現する事である。

つまり、人間が生きる最初の目的は、神様の愛を中心とした心と体が一つとなり、人格を完成することである。それにより、神様と失われた関係性を再構築し、神様の真の愛を地上に実現することができる。それは、究極的には、神様の息子・娘となり、神様の喜びのためだけに生き、神様が実現したかった地上・天上天国の実現の為に貢献することを意味する。

【目的】

神様の真の愛を中心として心と体の統一を通し、真の愛の実践により、霊界体を成長させ、神様の心を感じる人格者となり、神様を喜ばせる子女となること。

【目標】

神様を中心とした真の愛を自体化し、真の愛により、心と体を統一させ、真の愛の実践により、霊人体を成長させ、神様の愛を受けられる人格を形成し、神様の喜びを感じることができる真なる人格者になり、神様が認める息子・娘になること。

【戦略】

神様との関係性を邪魔するサタンと堕落性との関係性を切る。その為には、サタンと堕落性について、理解する必要がある。サタンとは、自己中心的な愛を持っている個人を通し、実体化する。堕落性とは、自己中心的な愛により発生した血統的な因縁、習慣性により、サタンの所有物になる。

サタンは、心と体の統一、霊人体の成長により、霊的に戦う力をつけることにより克服できる。堕落性は、真の愛の実践により、血統と習慣性から堕落性との因縁を切ることにより克服できる。

【戦術】

地上生活は、霊界での生である霊生を準備する為の期間であるということを自覚する。霊界での生は、地上において、どれだけ、真の愛を実践したのか、真の愛の実体になれたかにより決まる。その為には、人生設計する前に霊生設計する必要がある。また、人生設計をうまく立てられていないのであれば、7つの習慣などを学習、実行し、習慣性を変えることで、人生を変えることができる。

【現状】

地上の主人は、サタンであり、サタンの主管圏で生きていた人間は、サタンの血統と堕落性により、サタンの所有物になっている。サタンと関係性がある限り、神様との関係性を構築することは、難しい。

サタンと関係性かある原因は、人類は、自己中心的な愛により、堕落した血統で生まれて来た。堕落は、天使長が自らの立場を離れ、自体自覚することから発生した。人類は、間違った自体(自己)と言う考え方を持つ限り、サタンと堕落性は常に主管してくる。つまり、自己中心的な愛を持っている限り、サタンの所有から抜け出すことはできない。

【課題】

サタンと堕落性は、両方とも霊的な存在であり、普通は、実体を認識することが難しい。なので、霊的な世界に対し、理解を深め、霊的な力を持たない限り、人類は、霊的な攻撃から守る術を持っていない。地上と霊界は、サタンと堕落性により、地獄のようになっており、サタンと堕落性による苦しみから解放されることはない。

また、地上生活は、神様の真の愛を実現することが目的である。何故かと言えば、神様の真の愛でしか、霊界で生活できる体の霊人体は成長しないからである。

霊人体が成長せず、霊界に行ければ、霊界での生活は悲惨なものになる。また、霊界での生活する環境は、どれだけ、神様の真の愛を地上で実現し、神様の代わりに人類を愛したのかによって決まってくるので、善の功績がなければ、住む場所も悲惨なものになる。

地上生活を霊生を見据え、計画しなければならないのは、選択ではなく、必須であり、全ての人が通過するべき道なのである。

【改善】

神様との関係性を構築する為には、先ずは、サタンと堕落性との関係性を断つ必要がある。その方法は、他体自覚である。自らの存在意義は、自己からではなく、他体から与えられるものであると言うことを理解する必要がある。

具体的に言えば、心は、体のために存在し、体は心の為に存在する。また、肉身と霊人体との関係性も同じである。また、霊人体と神様の心である生心の関係性も同じである。つまり、人間とは、自己からくる目的性ではなく、神様から与えられた創造物であり、創造目的に対し、自らの存在意義を合わせる必要がある。創造物は、神様の喜びの対象として、創造されたと言われているのは、その為である。

その方法は、神様が願われている自らの存在意義と価値を理解することである。それは、真の愛により、神様の願いを100%感じ取ることができるようになることである。つまり、神様の実体として、神様の子女になることを意味する。

本来、人間が堕落しなければ、神様の心情を理解するので、偽りの愛により堕落することはあり得ない。つまり、堕落を復帰する道は、神の心情を霊人体を通し、心を通し、体を通して実現化する実体となることである。

結果的には、人類に対し、神様は、息子、娘になるように望んでおられるが、人類は、自らその道を放棄した。なので、人類が神様の愛に帰り、神様の愛を代わりに実現化することにより、サタンに奪われた神の息子と娘の立場を復帰し、サタンから所有権を取り戻していかなければならない。

【効果】

サタンからの神様の息子、娘としての所有権を取り戻すことができれば、サタンと堕落性は、干渉することが難しくなる。勿論、最初から克服することは難しいので、最初は、僕の僕の立場から出発し、神様との関係性も、親子ではなく、主従関係のように感じるかも知れない。しかし、それは、人類が神を捨て、歩んで来た6千年間にできた人類の心情的な溝である。

神様は、人類に対し、常に、親子の心情で語りかけてくれており、家出した子供がいつか帰って来てくれることを待ち望んでいる。神様が諦めていないので、人類が神様の元に帰られるのであり、人類が神様の前に帰るのは、人類の努力よりも、神様の無限なる愛の結果であることを理解して感謝しなければならない。

結果的には、神様との親子の心情を復帰して、神様から子供の立場を復帰することができれば、霊人体を成長させることができる。神様から子供の立場を復帰できれば、他の人を神様の子供として、復帰することができる。

【結論】

神様と人類との関係は、親子の関係であるが、その関係性が構築できていないのは、人類が神様との関係を放棄し、サタンとの主従関係を構築したからである。それにより、サタンと堕落性との関係性と戦い、克服できない限り、神様の基に帰ることはできなくなった。サタンとの関係性を切り、神様との関係性を構築する為には、自体自覚による自己中心的な偽りの愛の人格から、他体自覚による神様の愛を中心とした真の愛の人格になることである。それにより、神様を裏切り、神様の元から離れていった人類が、神様の元に帰り、神様の愛により、子供の立場を復帰する事ができるようになる。その結果、地上で神様の愛を実践し、実体化した結果により、霊人体が成長し、霊生の生活の中で、より神様に近い所で、生活できるようになる。

これが霊生を見据えた人生を生きる目的であり、このような方向性で生きることで、より神の喜びの対象となり、より神様と近い生活ができるようになることを願う限りである。

コンテンツを理解したからと言って、神様との関係性を構築できる訳ではない。コンテンツを理解した前提で、アクションステップを考え、実施することで、神様と貴方の関係性を見つめ直し、構築することができます。アクションステップの立て方や例については、下記のURLを参考にしてください。

神様と人間との関係性の構築の為のアクションステップ